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銀魂に学ぶ「労働の本質」

銀魂に学ぶ「労働の本質」


銀魂」52巻『フェニックスは何度も蘇る』の冒頭箇所。

本作では逆説的な視点から労働の本質とは何かについて語ってくれるシーンが描かれています。

ある日の夏の公園で花火大会に誰を誘うかで盛り上がる女性の二人組。彼女たちは「こんな楽しい夏休みが永遠に続けばいいのにー」と浮かれ気分で真っ盛り。そんな時に謎の浮浪者の男が彼女たちに世の労働の本質に対する核心を抉るような怪談話を持ち掛けてきます。

彼の名はまるでダメなおっさんを略した「マダオ」のニックネームで作中のキャラクターから親しまれる長谷川泰三。この男はかつて幕府の役人でしたがその場の鬱憤で異星からの来賓客を殴り飛ばした事で永遠の中年無職フリーターへ転落。この件で妻子からも逃げられてしまったように名実共にまるでダメなおっさんそのものを体現した言える人物です。マダオはさらに続けます。

人は労働の対価として手に入れる金銭や社会的信用によって自分の人生を先へ進めていく事ができます。しかし労働という推進力を失えば、人生はそこから先に進めません。進歩なき人生とは停滞とそれに伴う衰退しか残されていないのです。

  • 「お前は休み続けなければならない。『休まずに休み続け』なければならない」

休むとは、身体の安息を得て次に備えるための回復期間。「休む」という事の本質から逸脱して永遠に人生の歩みから『休息』させられる事を余儀なくされたマダオ自身の重々しい経験則が夏の夜の怪談として二人の女性に突き付けられます。

  • 「休みというのは生活の基盤たる労働活動・義務を果たして初めて存在できる」
  • 「休みだって終わりがなければ働くことと変わらない義務苦痛に変わる」
  • 「仕事があるから休んでいられるんだ 休みがあるから働いていられるんだ」

そうです、労働の対価に得たものを行使できるから人は休みをエンジョイできる。遊行の行使に必要な対価なき「休み」は単なる無為なる暇の束縛によって生じた虚無にしか過ぎません。実は本作においてこの時のマダオと同じような終わり無き苦しみに苛まれて銀魂のラスボスになってしまったキャラクターが存在します。

それがこの銀魂における物語で諸悪の根源として立ち塞がった「」という人物。

「終わりのない生は生といえるのでしょうか。」

「死んでいない事を生きているというのなら、その死すらなくなった状態は生と言えるのでしょうか。 それは虚ろですよ。生も死もない ただの虚無だ。」

「苦しみが続いたとき人は願う。終わりが来ることを。だが、幸せなときもそれが永遠に続くと知れば人は願う、終わりが来ることを。」

 

マダオが永遠に終わらない夏休みを強いられているように、彼もまた永遠に死ねない呪いによる苦しみから逃れるために全てを終わらせるべく地球をも滅ぼそうとした作中最大の巨悪がこの虚。

  • 実は銀魂の「まるでダメなおっさん」とそのラスボスは同じ境地の悟りを得ていたのでした。

幕府の役人という大変安定した地位から、永遠の夏休みを約束された中年無職への転落人生を余儀なくされたマダオは怪談という体裁で今の己の有様を以下の如く総括します。

  • 「終わらない夏休みなんて無間地獄と変わらねーんだ」

過去の栄華には永遠に戻れない、そしてこの先の自分に栄えある未来も残されていない。ただ死ぬまでこの無為なる「無間地獄」をやり過ごすしかマダオには選択肢が残されていないのです。前述の虚も彼と同じような虚無を抱えていました。労働から解放された事で一生分休む事が許されるだけの成果を成した人。労働に手が届かない立場であるが故に一生分「休む」事を強いられる人。

一見同じように見えても、この両者には決して届かぬこと無き天地の隔たりがあります。

毎日に昼夜のサイクルが存在するのと同じように何かしらの労働と休みの起伏があるからこそ、人は己が人生を享受する事が出来る永遠に続く労働によって過労死を遂げるのも、永遠に続く休暇によって衰弱死を遂げるのもその先に待っている結果は同じですから変わりありません。「永遠に続く人生の夏休み」を突き付けられたマダオだからこそ、彼は労働の本質とは何かを悟ることが出来たのでしょう。恐らくコロナ渦の期間中にこの時のマダオと同じような心境に陥った人も少なからず居るのでは無いでしょうか。

集英社 銀魂 コミックス52巻 第456訓『フェニックスは何度も蘇る』よりコマ引用


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