ボイストレーナーへの道のり ⑥ 一歩目を踏み出す
ボイストレーナーへの道のり ⑥ 一歩目を踏み出す
「いったい何を言われるのだろう……。」
期待と不安でドキドキしながら、久し振りに通っていた音楽学校へと向かいました。
内心、ボーカルの講師を打診されるかも…とも考えていました。
実は、まだ音楽学校に在学中の頃、
「植村くん、音楽理論の講師やってみる気ある?」
と聞かれたことがあったのです。
「植村くん、音楽理論の講師やってみる気ある?」
と聞かれたことがあったのです。
その時は、理論に対して音楽的な実感・再現性がない(演奏や歌唱でそれを使いこなすことが出来ない)からと、お断りしました。
以前に講師になる提案があった分、何となく頭の中に、歌か理論の先生かなぁと浮かんでいたのです。
そして、自分でも人に何かを教えることは、きっと向いているだろうなと感じていました。
音楽学校に到着しました。
そこで言われたのは、以下のような言葉でした。
「植村くん、ボイストレーニングの講師をしてみる気はないか?」
……(@_@)…… え?
ボクにとって全く想像していない言葉でした。
歌の講師という想像はなんとなくしていたのですが、ボイストレーナーという選択肢は頭の中に1ミリもありませんでした。
音楽理論の講師すら頭に浮かんでいたというのにです。
というのも、当時ボイトレの先生は、ほぼクラシックの方ばかりで、自分のようなクラシックを一度も通ったことのない人間がやるとは全く考えていなかったのです。
今では、「歌を教える人≒ボイストレーナー」というようなイメージがあるかもしれませんが、普通の歌の先生とは違う、とても専門的な仕事なのです。
「えっ?!ボイストレーニングですかっ?・・・歌じゃなくて?」
「……ボイストレーニングの指導なんて、ボクなんかに出来ますかねぇ…」
「……てか、なんでボクなんですか?」
「ボク、高い声がめっちゃ出るわけでもないし、どうして教えたらいいか全く分からないんですけど……。」
「 えぇっとぉ………。」
「……………………………………。」
頭の中がかなり混乱しました。
歌を教える仕事はゆくゆくやってゆきたいし、やってゆくだろうと思っていました。
でもそれは、歌手として活躍して引退した後にする仕事か、デビューできなかった時のすべり止め的な仕事、として考えていました。
つまり自分の中では「歌の先生」というのは、成功するにしろしないにしろ、一番最後の選択肢だったわけです。
でもまさか、こんなに早く選択を迫られるとは…。
最後の選択肢のはずが、ほぼ最初の選択になってしまいました。
しかも「歌の先生」ではなく「ボイストレーナー」となれば、何をどうしたら良いのかまるで分かりませんでした。
しかし、ここで「NO」という選択肢はありませんでした。
オーディションも受けない、作詞も作曲もしない、ライブもしない、ピアノや歌の練習もしない、……そんなダメダメ人間に、奇跡のような輝かしい音楽の道が急に拓けるなんて、果たしてあるでしょうか?
……あるはずありません。
むしろこのボイストレーナーへのお誘いこそが、音楽をすると言いながら何も動けないでいるボクに訪れた「最後の奇跡」に違いありませんでした。
むしろこのボイストレーナーへのお誘いこそが、音楽をすると言いながら何も動けないでいるボクに訪れた「最後の奇跡」に違いありませんでした。
ボイストレーナーになることに対して、色んな不安や複雑な思いなどが沢山湧き起こりました。
それでも結局ボクの口から出たのは、
「やらせて下さい。よろしくお願いします!」
の一言でした。
ボイストレーナーの話を頂いて決断するまでは色んな思いが心を駆け巡りましたが、いざやると決めたら思いのほか気持ちは晴れ、やる気がどんどんと湧いてきました。
発声のことを何も分からないボクに対して、音楽学校は東京から来られていたK先生の授業をいつでも見学してもいいよ、と段取りしてくれていました。
当時K先生は、TVにも出演されていて、とても有名な方でした。
番組内では、怒鳴ってタレントを泣かしたりされていてかなり怖いイメージだったのですが(演出だったそうです…汗)、実際にお会いすると、とても優しく面倒見のいい方でした。
右も左も何も分からないでいるボクにK先生は
「植村さん、まずはこの本は読んでください。」
と紹介されたのが、フースラーの『うたうこと』でした。
幸運なことに初めにこの本と出会えたことも『奇跡』と言っていいかもしれません。
(今自分のレッスンの基本にあるのがこのフースラーのメソッドです)
当時のボクにとってこの本は、医学書かと見間違うほど筋肉や軟骨などの名前が出てきて、何度も読むのを断念しようかと思いました。
ですが、ボイストレーナーの先生のレッスンを何度でも無料で見学していいと言ってくれた音楽学校の社長や、親身になってくれるK先生の存在を思うと
「本を読むことくらい出来なくてどうするんだ」
という気持ちになり、意地で最後まで読みました。
理解するというよりは「文字を眺め終わった」と言った方がいいほど、全く意味の分からないままでした。
まあ、とりあえず自分の義務を一つ果たせた気になれました。
半年ほどの間、バイトをしながら週1のペースで先生のレッスンを見学し、毎回どんなメニューをしたかノートに書き取りました。
ただひたすらノートを書き込む日々でした。
しかし、どれだけ見学しても、書き込んだノートが分厚くなっても、自分がレッスンをするイメージが全く湧いてきません。
このままでちゃんとレッスンが出来るようになるのか、とても不安でした。
ピアノも不安でした。
簡単な音階練習のフレーズ(ドレミファソファミレドなど)を滑らかに弾くのが意外に難しいのです。
「なんちゃってジャズ」が弾けて、ピアノがそこそこ弾ける気でいたボクですが、こんなこともできないのかと愕然としました。
いよいよ。
ボイストレーナーとしての初日がやってきました。
何の確信もないまま、不安だらけのスタートでした。
そんなボクにK先生は、
「植村先生は生徒さんたちと年も近いし、頼れるお兄さんって感じでうまくやって行けると思いますよ。大丈夫。植村先生なら生徒さんたちに信頼されるいい先生になれます!」
と言って下さいました。
もうやるしかありません。
どう足掻いたところで今の自分の能力が急に上がるわけではないのだから、せめて熱意や情熱といったものだけは誰にも負けないように頑張ろう、そう思いました。
そして、とうとう初めてのレッスンの日。
内容は、K先生の100%コピーでした。
目の前の生徒さん達にとって、ボクはちゃんとボイストレーナーに見えているのだろうかと内心ビクビクしていました。
汗が滝のように流れ出しました。
まるで拷問でも受けているかのような長い90分(1レッスン)が何とか過ぎてゆきました。
それが4コマ続きました。
それが4コマ続きました。
長い一日が終わりました。
ボクがちゃんとしたボイストレーナーかどうかに疑問を持っている生徒さんはいないようでした。
生徒さん達も、初めてボイトレを受けるという緊張感でドキドキしているようでした。
何とか無事に初日を終えました。
とりあえず「ホッ」としました。
一日中張り詰めていた緊張の糸をプツンと切れると、疲れが一気に押し寄せてきました。
そして、何とか今日という日を乗り越えた安堵感よりも、この生徒さんたちをこの先2年間ちゃんと導いてゆかなくてはならないという現実に、
「このままではいけない!」
と、強く思うのでした。
アカウントを作成 して、もっと沢山の記事を読みませんか?
この記事が気に入ったら Norio Uemura さんを応援しませんか?
メッセージを添えてチップを送ることができます。
この記事にコメントをしてみませんか?