ボイストレーナーへの道のり ④ 音楽学校に入る
ボイストレーナーへの道のり ④ 音楽学校に入る
演劇で挫折したボクは、何もすることがなく半年ほどバイト三昧で過ごしました。
大学生になって以来ずっと表現活動をしてきたボクにとって、ただただバイトをするだけの毎日は気が狂うような日々でした(←大学行けよ)。
役者や脚本・演出の才能が無かったこともありますが、何より自分の人間性の未熟さに挫折したボクは、自分がこの先どうしてゆけば良いのか、どうしてゆきたいのか、まるで分からなくなりました。
「音楽をしてみようかな…」
そんな思いが、何度も心に浮かびました。
歌にはなぜか自信がありましたし、もともと音楽の方が好きだったわけで、そう思うのは当然だったと思います。
でも、歌がどれだけ上手かろうが、その声で表現されるボクの人間性が貧弱であれば、結局また同じ挫折を味わうであろうことは目に見えていました。
「今度は歌に逃げるだけじゃないか。」
そう思いました。
そう思い、自分を何度も責めました。
それでも結局は音楽以外の選択肢が自分にはどうしても思い浮かびませんでした。
音楽に夢や希望を抱いていたというよりは、ほぼ逃避そのものだったと思います。
これまで何も音楽の活動をして来なかったボクは、実際に何をすればいいのかまるで分かりませんでした。
そんな時、姉の知り合いのミュージシャンが講師をしている音楽学校が京都にあると分かりました。
なぜか何の迷いもなく、「そこに行こう!」と決めました。
別にその方と面識があるわけでもなく(ライブを一度見に行ったことがあるだけで特に話したこともありませんでした)、めっちゃ尊敬していたとかでもなく(しかも歌ではなく、ピアノやパーカッションの方です)、なぜその学校に決めたのか今から思うと不思議です。
他の音楽学校を調べることもせず、
バンドのメンバー募集などに応募するとか、
オーディションを受けるとか、
大学の軽音に入るとか、
………他にも音楽を始める方法はいくらでもあったのに、他の選択肢を考えたことは一度もありませんでした。
人生というのは、自分で決めているようで、運命のようなもので決まっているのかもしれません。
音楽学校の学費はボクにとって安いものではありませんでした。
それでもその目標のおかげで、バイトだけの単調な毎日を狂わずに過ごすことができたのでした。
音楽学校で、入学時のカウンセリングを受ける日が来ました。
入学前に個々の実力や夢などをチェックして、クラス分けやコースの適性を見るためのものです。
まず音楽理論の筆記テストがあり、なんとか半分くらいは埋めることが出来ました。
その後、自由歌唱のテストで、メリッサ・モーガンという女性ボーカルの” You’re All I Got “という曲を歌いました。
高校時代にレンタルCD屋さんでオススメされてるのを借りて聞いてからずっと好んで聞いていた曲でした。
「今まで本当にライブとかしたことないんですか?」
「フェイクの部分はCDと同じフレーズを歌われましたが、その場で思い付いたフェイクを歌うことができますか?」
…と歌い終わったボクに、スタッフの方が質問しました。
答えはどちらも「はい」でした。
スタッフの方が僕の返事を聞いて、さらに言いました。
「植村さん。いろんなことがあると思いますが、歌は続けられた方がいいです。」
この時、自分の歌をちゃんと理解できる人に、生まれて初めて聞いてもらえたと感じました。
音楽という枠の中で、初めて「自分を丸ごと認めてもらえた」と感じました。
「歌は続けられた方がいいです」と言ってくれたのは、演劇の時の挫折から、自分は歌手ではなく、裏方(作曲やアレンジ)で頑張りたいと話していたからでした。
「やっぱり自分の歌は、間違ってなかったんだ!!!」
スタッフの方から、レッスンが始まる4月までにピアノを毎日弾いておくといいですよと助言されました。
そして、いよいよボクの音楽人生がスタートすることとなるのでした。
ボイストレーナーへの道のり ⑤ に続く
(⑤でようやく音楽のスタートって遅すぎますね^^;)
大学生になって以来ずっと表現活動をしてきたボクにとって、ただただバイトをするだけの毎日は気が狂うような日々でした(←大学行けよ)。
役者や脚本・演出の才能が無かったこともありますが、何より自分の人間性の未熟さに挫折したボクは、自分がこの先どうしてゆけば良いのか、どうしてゆきたいのか、まるで分からなくなりました。
「音楽をしてみようかな…」
そんな思いが、何度も心に浮かびました。
歌にはなぜか自信がありましたし、もともと音楽の方が好きだったわけで、そう思うのは当然だったと思います。
でも、歌がどれだけ上手かろうが、その声で表現されるボクの人間性が貧弱であれば、結局また同じ挫折を味わうであろうことは目に見えていました。
「今度は歌に逃げるだけじゃないか。」
そう思いました。
そう思い、自分を何度も責めました。
それでも結局は音楽以外の選択肢が自分にはどうしても思い浮かびませんでした。
音楽に夢や希望を抱いていたというよりは、ほぼ逃避そのものだったと思います。
これまで何も音楽の活動をして来なかったボクは、実際に何をすればいいのかまるで分かりませんでした。
そんな時、姉の知り合いのミュージシャンが講師をしている音楽学校が京都にあると分かりました。
なぜか何の迷いもなく、「そこに行こう!」と決めました。
別にその方と面識があるわけでもなく(ライブを一度見に行ったことがあるだけで特に話したこともありませんでした)、めっちゃ尊敬していたとかでもなく(しかも歌ではなく、ピアノやパーカッションの方です)、なぜその学校に決めたのか今から思うと不思議です。
他の音楽学校を調べることもせず、
バンドのメンバー募集などに応募するとか、
オーディションを受けるとか、
大学の軽音に入るとか、
………他にも音楽を始める方法はいくらでもあったのに、他の選択肢を考えたことは一度もありませんでした。
人生というのは、自分で決めているようで、運命のようなもので決まっているのかもしれません。
音楽学校の学費はボクにとって安いものではありませんでした。
それでもその目標のおかげで、バイトだけの単調な毎日を狂わずに過ごすことができたのでした。
音楽学校で、入学時のカウンセリングを受ける日が来ました。
入学前に個々の実力や夢などをチェックして、クラス分けやコースの適性を見るためのものです。
まず音楽理論の筆記テストがあり、なんとか半分くらいは埋めることが出来ました。
その後、自由歌唱のテストで、メリッサ・モーガンという女性ボーカルの” You’re All I Got “という曲を歌いました。
高校時代にレンタルCD屋さんでオススメされてるのを借りて聞いてからずっと好んで聞いていた曲でした。
「今まで本当にライブとかしたことないんですか?」
「フェイクの部分はCDと同じフレーズを歌われましたが、その場で思い付いたフェイクを歌うことができますか?」
…と歌い終わったボクに、スタッフの方が質問しました。
答えはどちらも「はい」でした。
スタッフの方が僕の返事を聞いて、さらに言いました。
「植村さん。いろんなことがあると思いますが、歌は続けられた方がいいです。」
この時、自分の歌をちゃんと理解できる人に、生まれて初めて聞いてもらえたと感じました。
音楽という枠の中で、初めて「自分を丸ごと認めてもらえた」と感じました。
「歌は続けられた方がいいです」と言ってくれたのは、演劇の時の挫折から、自分は歌手ではなく、裏方(作曲やアレンジ)で頑張りたいと話していたからでした。
「やっぱり自分の歌は、間違ってなかったんだ!!!」
スタッフの方から、レッスンが始まる4月までにピアノを毎日弾いておくといいですよと助言されました。
そして、いよいよボクの音楽人生がスタートすることとなるのでした。
ボイストレーナーへの道のり ⑤ に続く
(⑤でようやく音楽のスタートって遅すぎますね^^;)
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