洋画は吹替のほうが情報量が多い
洋画は吹替のほうが情報量が多い
洋画ファンには長らく避けて通れない命題として吹替と字幕どっち派かがある。そんなのどっちでもいいだろとかそれぞれの好みに尽きるとか正論はおいといて、ある識者の発言に目を開かれた。
「クリミナルマインドを字幕と吹替で観てたんだけど、吹替のほうが情報量が多かった」
その識者は続けてこう述べる、「字幕では不自然な水たまりと表現されていたが、吹替を聞いて初めてそれが「尿」だとわかった」。
それから私はNetflixで海外の映画やドラマを視聴する時、吹替と字幕どちらもオンにして比較するようになった。
これは好奇心のみに起因するにあらず、私のパソコンでは吹替設定にしても何故か音声が小さく聞こえ辛いため、補足として字幕を表示している側面もある。
実際何本かの作品で試してみたのだが、言われてみればなるほど!吹替のほうが情報量が多かった。
「私たち親友でしょ、ずっと一緒だったんだよ」
それが吹替になるとこうなる。
「私たち高校からの付き合いでしょ、二週間と離れたことないんだよ?」
受ける印象がまるで違ってこないだろうか。前者の「ずっと」は抽象的な言葉で、具体的に期限は区切られてない。対して後者の「二週間」は明確だ。高校時代から大学までずっと一緒の付き合いで、二週間と離れたことない。どう思うだろうか。私は後者のほうが、「コイツら半端ねえ仲だな」と感じ入った。二週間って、たぶん夏休みの家族旅行とかで離れて会えなかったとかだよな?それを別として「ずっと」一緒だったと消去法で考えれば、こちらのほうがずっと説得力が増す。
もう1本例にあげたい。
作中でてくる少年が待ち時間に読んでいるのがスティーブン・キングの「呪われた町」だったり、主人公たちが吸血退治の参考にするのが「ブレイド」だったり、ところどころに仕込まれた小ネタにニヤリとする。
さておき、こちらも吹替と字幕で視聴したところ、吹替のある重大な長所に気付いてしまった。
本作では吸血鬼がギャングを襲うところを偶然目撃してしまった主人公が、証拠(死体)を見せんと仲間たちとともに現場に戻るのだが、案の定死体は消失していて仲間に正気を疑われる。
この時主人公の驚愕の表情がアップで映り、引きで画面の端に映りこむ仲間同士が口論を演じるのだが、字幕だとバックグラウンドミュージック的な口論まで訳されない。よって何を言ってるかわからない、ばっさりカットだ。英語がわからない身からすれば本当にただの雑音でしかない。
対して吹替だと、主人公の背景で繰り広げられるくだらない口論までがばっちり翻訳される。「このケツ穴野郎!」とか、言ってるのは本当に下品でくだらないことなんだけど、プロ声優さんの感情がガッツリ乗った演技で再現されるのだ。
吹き替えの時点で原作そのままの意味合いかは怪しいし、ひょっとしたら声優さんのアドリブやアレンジが入ってるかもしれないが、情報量の多さや楽しさで言えば断然吹替だ。
字幕翻訳は手間がかかるし、視覚→脳処理の過程で流れる文字が速度が早過ぎると付いていけない。その点聴覚→脳処理は、目が映像を追っている為ほぼタイムラグが生じない。
今回私が見たのは両方ともエンタメ性の強いティーン向けホラー作品だったが、刑事ドラマだと専門的な内容がさらに増える。例をあげれば字幕だとただの死後硬直が始まりかけた腐乱死体と訳されるのが、吹替だと「レアとミディアムの中間の死後硬直だね、三日間放置したハンバーガーよりちょっとだけ新鮮だ」みたいな、声優さんだか脚本家だかの遊び頃でご機嫌な言い回しになったりする。
故に認識の正確さを求めるなら吹替のほうが適してるのかもしれないと思った。
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