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1973年4月24日 「首都圏国電暴動」

1973年4月24日 「首都圏国電暴動」


1973年4月24日、国鉄労働組合(国労)と国鉄動力車労働組合(動労)の組合員たちは、東京都内を中心に順法闘争を実施しました。この闘争は、労働者たちの待遇改善を求めたもので、列車の遅延や減便、運賃値上げなどを抗議するものでした。国労や動労は、組合員たちに対してストライキや運動の自粛を呼びかけ、運動を順法的に行うよう要請していました。


しかし、この順法闘争に対して、一部の乗客たちは不満を募らせ、暴動を起こしました。主に首都圏の国鉄電車(通称国電)を利用する乗客たちが中心となり、同時多発的に駅構内や車両内で暴動が発生しました。乗客たちは、窓ガラスを割り、車内を破壊し、放火したり、運転席に乗り込んで運転を妨害するなどの行為を行いました。


国電暴動は、一時的に国電の運行を麻痺させ、多数の車両が破壊され、火災が発生し、多数の負傷者や死傷者が出ました。当時の報道によると、暴動は2時間以上にわたって続き、多くの駅や車両が破壊されたとされています。


事件後、多くの乗客が逮捕され、裁判にかけられました。また、この事件は、国鉄の運営や労使関係に対する批判が高まるきっかけとなりました。国労や動労は、事件に関与した組合員たちを除名処分にし、運動を順法的に行うよう再度呼びかけました。一方で、国鉄側は、運行妨害行為を行った乗客たちに対して、損害賠償を求める訴訟を起こしました。


この事件は、国鉄の運営や労使関係に大きな影響を与え、国鉄改革の動きを加速させました。また、暴動を起こした乗客たちに対して、警察や社会からの批判も高まりました。事件後、国鉄はセキュリティー対策を強化し、警備員の配置を増やすなどの対策を講じました。


また、この事件は労働組合と乗客の間の対立を浮き彫りにし、労使関係の改善が求められるようになりました。国鉄は、労働組合との折衝を進め、労働環境や待遇の改善に取り組むことで、労使間の対立を緩和していくことになります。


国鉄暴動は、当時の社会に大きな衝撃を与えました。多くの人々が、公共交通機関を利用することができなくなったことや、暴動によって発生した被害や犠牲者に対して、悲しみや怒りを抱いたことでしょう。しかし、この事件は、社会全体が抱える問題や課題に対する議論を進め、改善を図るための動きを生み出すきっかけとなりました。


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