北斗の拳に学ぶ「愛」とは何か。
北斗の拳に学ぶ「愛」とは何か。
それでは「北斗の拳 」のあまりにも有名な名台詞であるこちらを。
北斗の拳 第11巻「愛ゆえに!の巻」よりコマ引用
- サウザー「愛ゆえに人は苦しまなければならぬ!愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!」
北斗の拳に登場した有名な悪役・サウザーが言い放った作中屈指の名台詞。
今やこの言葉は「道徳の教科書」の一部に引用されるまでに多大な影響を及ぼしております。
サウザーは一子相伝の掟で定められた鳳凰拳継承の儀において目隠しのまま自分が師と敬愛していたオウガイを知らず知らずに殺害してしまった際の深い悲しみの過去から以下のような結論に達しました。
- 愛とは苦しみと悲しみを産む根源であるからそんなものは必要ない
不可抗力による親殺しを強いられることの無い平々凡々な現代人には共感しがたい愛に対する見解ですよね。
ところが人類数千年の歴史においてサウザーと同じ境地に辿り着いた偉人が存在しました。
それがなんと・・・
この悟りを開いて仏陀へと成道したゴータマ・ブッダでした。
悟りを開いたブッダもまた「愛別離苦」という形で愛は執着と苦しみを生み出す源であり悟りを開くにあたってこれは捨て去るべきものと語っておりました。
愛別離苦について更に詳しく掘り下げると以下のような考えです。
- 釈尊は愛は苦だと説き、悟りへの障碍物と教える
- 愛は深ければ深いほど、切りすてる時の苦悩もより強い。その強い苦悩を知っているからこそ釈尊は愛を苦ととらえた
- そもそも仏教でいう愛とは、トリシュナーの訳語で、欲望の充足を求める「渇愛(かつあい)」をいう言葉である。こういう凡夫の愛こそが悟りへの障害
- 解脱(げだつ)のためには障碍となるような愛、釈尊自身こうした凡夫の愛を切りすてることによって、より大きな深い愛へ近づこうとしたのかもしれない。
えっ!仏教語だったの? | 東本願寺 より一部抜粋
「北斗の拳 OFFICIAL WEB SITE より引用」
- サウザーは恐るべきことに悟りを開いた釈尊と自力で同じ境地に辿り着いてしまったのです。
菩提樹での修行において悟りを開いて仏陀へと成道したゴーダマ。
鳳凰拳会得の修行において悟りを得た事で聖帝へと即位したサウザー。
悟った内容は同じであり、ブッダもサウザーもそのカリスマ性で多くの人間達を虜にして己を中心とした組織を作り上げた所までは共通していましたが、そこから先へ至った在り方にはあまりに隔たりがありました。
仏教において殺生は大罪にあたりますが、聖帝十字軍はその名の如く汚物は消毒だと言わんばかりの勢いで無尽蔵な殺生を繰り返すだけでした。
どうしてこうなった。
人間道で悟りを開いて仏滅を遂げるまでその智慧を広めるべく旅を続けたブッダ。
一方でサウザーは修羅道そのものともいえるあの世紀末な世界観では、悟りを得ても暴力による覇道を追い求めるしか選ぶ道が残されていなかった。
そう思うと、彼の生きざまには愛よりも「哀」の部分を感じさせてしまう奥深いキャラクターと言えるかも知れませんね。
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