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#10【葛飾北斎】富嶽三十六景「下目黒」

#10【葛飾北斎】富嶽三十六景「下目黒」


皆様こんにちは!絵画インストラクターの松本です。

「富嶽三十六景」を発表していたとき北斎は70代。

引っ越しを93回もしたり、
家が汚かったり、
画号を30回以上もかえたり。
ちょっと普通じゃありません。

凡人の私からするとすべてが
「狂っててカッコイイ~!」と尊敬してしまうのですが、
周りの人たちはきっと振り回されて大変だったことでしょう。

大変だけれども絵に対して純粋な北斎は
きっと愛されていたんだろうなぁと想像しています。

今回は富嶽三十六景の10枚目の解説です!


葛飾北斎ってどんな画家?

  • 江戸本所割下水にうまれる(1760-1849)
  • 浮世絵(木版画)の風景画というジャンルを築く
  • 画狂老人と呼ぶほど絵に人生を捧げる
  • 引っ越し93回!
  • 金銭管理が下手で画料はほぼ借金返済に
浮世絵「富嶽三十六景」って?
  • 全46枚!
  • 当初は36枚の予定が人気が出たため10枚追加された
  • 富士山を色々な場所から描く
  • 鮮やかな青「ベロ藍」プルシアンブルーの使用
  • 西欧諸国でジャポニスム(日本趣味)の要因となる

富嶽三十六景「下目黒」しもめぐろ


下目黒

お昼の農村風景。
全体的に暖色が多く、のどかな光景となっています。
普通の農村と違うところは鷹匠がいるところ。
目黒は将軍の御鷹場でした。

富士山
富士山


ぼかしの技術が光ります。
空


画面全体が左右対称になっているのですが、
松があることで左右対称を崩し
構図の遊びになっています。
松

鷹匠
手に鷹を乗せている鷹匠が二人。
鷹匠
目黒には「鷹番」という地名が残っています。
地名の由来は江戸時代に
鷹番屋敷が設置されたことから。

農村地帯に鷹匠が歩く姿は下目黒ならではの光景。

母子
農夫

農夫
鍬(くわ)をかついで
畑へ向かうところ。
農夫

江戸時代の「下目黒」は農村地帯


農村地帯であり、将軍が鷹狩りをする場所でした。

江戸時代の人口は推定3,200万人。
割合は、百姓85%・武士7%・町人5%・えた ひにん1.5%・公家その他1.5%。

ご先祖様を遡るとだいたい農民なので、
農村の風景というのは理屈ぬきに
懐かしく感じてしまうのかもしれません。

また下目黒には「大圓寺(大円寺)」という寺院があります。
明和9年(1772年)に放火され、明和の大火の原因となってしまいました。
再興されたとき、大火の犠牲者供養の石像がつくられたそうです。

大円寺

大円寺

大円寺石像群は江戸の災害史を今に伝えてくれます。
東京都指定有形文化財 大円寺石仏群
大円寺石仏群


シンメトリーを取り入れた北斎の構図


シンメトリー(対称性)はバランスがよく安定した構図になります。
建築デザインやインテリアデザインでも意識される概念で、
家、椅子、照明・・・探そうと思うと
多くのシンメトリーを見つけることができます。

自然界でも蝶や人、多くの生き物が軸を中心とした左右対称です。

シンメトリー 左右対称
アゲハ蝶
アゲハ蝶

北斎の下目黒も
赤い線を軸に左右対称になっています。
構図

軸の近くに富士山が配置されていますね。
絵の雰囲気に合うように、ピッタリ真ん中ではなく少しずらしてあります。

ずらしてあるほうが
しっくり自然ですね!
(^^♪

1本の線や人、細かいところも美しいのですが
大きな構図の中にも
ぜひ北斎の美意識を感じていただけたらと思います!

以上「富嶽三十六景 下目黒」の解説でした。
次回「富嶽三十六景 礫川雪ノ且」(こいしかわゆきのあした)の解説です。

どうぞお楽しみに!
(^^♪

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