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紫蘇とマーボー豆腐【第3部】

紫蘇とマーボー豆腐【第3部】


紫蘇とマーボ豆腐【第3部】

 男女の愛情は3年しか持たない、とその筋の専門家がテレビで発言しているのを聞いたことがある。
その時、朝子は律に「男女の愛から家族の愛にかわるのかしらね?」なんて話していた。
家族の愛。
名称が変わる、そんなことはどうでもいい。
大事なのは、朝子自身が本当に律を大切に思えているか、ということだった。
律を本当に大切に思えてるかしら?
幸せを実感できているかしら?
律は幸せかしら?
そもそも、どうしていちいち幸せかどうか、確かめるようになったのかしら?
子供を作らないことも、律と同じ職場だと周りが気を遣うからと私が仕事をやめることも、マンションを買わないことも、みんなみんな納得して、不幸に思う材料なんてないのに。
朝子は、豆腐をすくっている律を見て泣きたくなる。
昔みたいに、どうしようもない愛しさというか心浮き立つような幸せ感がわき上がってこない。
これが、倦怠期というものなの?
3年しか愛情を感じないのは本当なの?
律にも欠点はある。
もちろん朝子にも。
でも、そんな欠点をお互いに認識して、2人で協力して乗り越えあえるくらいの成熟さを持ち合わせてから、2人は結婚した。
律が大切なことに変わりない。
今でも、とても大切な人。
すごく大切なのに、律がいる日常に慣れすぎて大切だと実感できない。
それが死ぬほどつらい。
律が病気になったら?
律が目の前から消えたら?
そんなの絶対いや!
絶対いやに決まっているけど、目の前に律がいるから、病気になるなんて消えるなんて、想像できない。
私は、おかしいのだろうか?
朝子の胸にざらりとしたものが広がった。
鈍感な自分。
前夫の無関心に7年間耐えた自分。
普通の人なら、即刻離婚だ。
朝子は気付けなかったのだ、自分の心があげていた悲鳴に。
それを思った時、全身が震えた。
私は自分の気持ちを実感できないのか、と。
 
 「ねえ、律。私が病気になったらどうする?」
「そりゃ、医者に連れていって必死に看病するさ」
「うん。それは分かっている。でも、今、病気になった私をリアルに想像できる?心配できる?」
「うーん、もし朝ちゃんの体に悪いものがあったら…」
律は、朝子の上半身を心配そうに見つめる。
「朝ちゃん、婦人科にかかった方が良い歳だよね。想像じゃなく現実、本当に乳がんとか心配。一年に一回の健康診断たけじゃ分からないことも多いらしいから。ほんと心配だよ」
朝子は脱力する。
律の言葉はいつも朝子を導く。明るい方向へと朝子を引っ張り上げる。
その分かりやすい、暖かい言葉は、朝子の心を解きほぐして、自分も正常だと気づかせるのに十分だった。
「具体的に病名を挙げられたら、律の体も、いきなり心配になってきた。律も中年だしね」
「うん。僕は、子供の頃から、風邪一つひかないし、歯痛さえ結婚してから経験してない。健康にすごく恵まれている。だから、朝ちゃん、想像つかなかったんだよ」
「そうかもしれない。律、ストレスは?」
「朝ちゃんのおかげで、ほとんどないよ。意見が違えば、ちゃんと妥協案を考えるし。それさえ楽しい」
「私もそう」
「じやあ、なんでこんな話をしたの?」
「うん、律とこうしていても、昔みたいに強くわき上がってくる幸せ感がないなあと思って。もし律が私の前から消えるまで、この幸せを実感できなかったらどうしようって」
「なるほど。沸き上がってくるものか。倦怠期打破だね。朝ちゃん、ずっと一人で悩んでいたの?そういうことも、僕は共有したい。で、成功した?」
「ううん、わき上がってこない」
朝子は正直に言う。
でも、朝子の心からざらりとした悪寒は消え、すっきりしていた。
「でも、でもね。幸せは実感できた」
「どうして?」
「律の身体を心配したら、律の幸せを心から願う自分を久々に感じて、ほんとに大切な人なんだと心の底から実感できたから。私、それさえ心底実感できなくて不安だったの。今までは、なぜか浅いところで止まってたような気がするの」
律は少し黙った。
「朝ちゃん、ストレスは?」
「ある。子供を作らなかったことを人から色々いわれること。それから…喉元過ぎれば熱さ忘れると言えるような自分の性格」
「そうか。僕も子供についていわれるけど、けっこう流せる。でも、女性である朝ちゃんは、比べようもないほどストレスだよね。僕に言ってくれれば、職場の皆にも、ちゃんと角が立たないよう、でも朝ちゃんが傷つかないよう、対処するから」
「ありがとう。安心した」
「朝ちゃんは、考えすぎ。人間はみんな忘れたり、慣れたりする生き物だから。僕だって、朝ちゃんが初めて作ってくれた料理がマーボー豆腐で、あの時ほんと幸せだった。けど、今あの時と同じ気持ちかって言ったら違う。このマーボー豆腐に紫蘇が入っているみたいに」
「うん、言っていることはよく分かる。でも、私の気持ちとしては、もっと律に感謝したいし、心から尽くしたいの」
「朝ちゃん、それは嬉しいな。僕も同じ気持ち」
「律は十分過ぎるくらい優しいし、私のために色々してくれているよ」
「朝ちゃん。僕は男だから、朝ちゃんよりずっと体力がある。体が弱くて、体力のない朝ちゃんのできないことをするのは当たり前だよ。それがしたくて結婚したんだから」
「律、ありがとう」
「これでも沸き上がってこない?」
「ごめん。もう私、救いようもない性格なんだと思う。というか、幸せを失うのが怖くて、幸せをわざと実感できないようになっているのかも」
「うーん」
律は、腕を組んで息を吐き、そして、ぼそっとつぶやいた。
「だから、人には病気とか老いとか死とかがどうしてもやってくるのかな?」
朝子は、泣きそうになった。
「きっとそうね。でも、分かっていても、律には、病気や悲しみ、苦しみにあわずに笑って長生きしてほしい」
「うん。僕も同じ。なんだかしみじみした。僕も感じることがあったよ」
律と会話する。
それだけで朝子は気が楽になる。
律のすごさを大切さを、朝子は身にしみて感じた。
「朝ちゃんの気持ちもすごくよく分かるから、僕としてもなんとかしたいんだけど」
そう言って、律は鼻をかく。
何か照れ臭いことをいう時の仕草。
朝子は、律の言葉を遮らないように、自分の気持ちを紡ぐ。
「ありがとう。沸き上がってはこないけれど、静かに満たされた気持ちは味わっているから、心配しないで」
「それは良かった。でも、わき上がってくる幸せ感も、やっぱりほしい?」
「うん、たまにはね。でも、それは私の性格の問題だわ」
「ここでさ、僕としては朝ちゃんをだき寄せて、口づけを、なんて展開に持っていきたいけどさ、マーボー豆腐食べてちゃね」
律が、いたずらっぽく笑う。
「でも、僕も幸せを実感した。朝ちゃんの幸せを一番に願っているのは僕だ。そして、実際にそれを実現できるのも僕。マーボー豆腐が間にあろうが、手を伸ばせば抱きしめられる権利が自分にあることを再認識した」
朝子は、顔がにやけていくのを感じた。
久々の律の愛情表現に嬉しい、と心から思った。
紫蘇入りマーボ豆腐の赤さが自分の律への愛しさ、情熱を表しているようで、我慢できなかった。
朝子は身を乗り出して、律に口づけをした。
律の口に紫蘇がついているけど、ノープロブレム。問題は一切なし。
幸せ。
私は、本当に幸せ。
律に強くだき寄せられた朝子は、本当に幸せだった。
 
おわり



私も朝子のように日常に慣れ過ぎて、湧き上がってくる感情がないのを悩んでいたのをヒントに、この物語が生まれました。
家族が生きていてくれるのも決して当たり前ではない。分かっているのに、慣れや疲れに飲まれて、心が動かない。
私自身、湧き上がってくる感謝や愛情が、自分の行動を変える原動力になることを強く感じていました。
湧き上がってこないのは、それは本気ではないからなのか?と不安でしたが、身内がこん睡状態に陥った時、本気で何でもしてあげたい、助けるためなら何だってすると心底湧き上がってくる愛情を心底感じ、本物だと実感してから心持が変わりました。
けれど何もない時から、湧き上がってくる愛情を感じられれば、人は過ちなど犯さないのに……と悲しくなったのも事実です。
当たり前の日常は、決して当たり前ではない。
普段からその境地に皆さんは至れていますか?
慣れ。本当に怖いです。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
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童話作家を目指している40代です。ゆったりと穏やかに、文章を綴っていきたいです。

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