【すべては彼らから始まった!心理学の起源に影響を与えた3人の偉人!】
【すべては彼らから始まった!心理学の起源に影響を与えた3人の偉人!】
【ヴィルヘルム・ヴント(1832-1920)】
ヴィルヘルム・マクシミリアン・ヴント(Wilhelm Maximilian Wundt)は”実験心理学の父”と称される、1832年にドイツで生まれた心理学者です。
元々は学校・勉強嫌いで、高校時代に落第して転校することもありましたが、大学に入学してからは猛勉強して医学部を卒業。その後、1862年から私講師として『自然科学から見た心理学』『生理学的心理学』などの講義を担当するようになり、1873年には『生理学的心理学綱要』の前半を出版します。1874年にはスイスのチューリッヒ大学、さらにその翌年にはライプツィヒ大学の哲学教授となりました。
学校嫌いで勉強嫌いなのに医学部卒業したり、大学教授になるなんてすごいですよね。
ヴントはこれまでの哲学的な心理学とは異なる実証的な心理学を構想し、1879年には世界でももっとも初期の実験心理学の研究室を運用したと言われています。この実験心理学の研究室はヨーロッパ、アメリカ、日本から多くの研究者が集まることとなり、研究室の成果が以後の心理学の発展に多大なる影響を与えたため、心理学史においては極めて重大な出来事の一つとして捉えられています。また、心理学史の多くではこの時をもって、『新しい学問分野として心理学が成立』したとされています。
ヴントは、心理学の目標は、心を簡単に分析して、それらの質から成り立っている各種の形式を決定することである、と考えました。そして、心理学の研究法は自己観察(内観)にあるとし、自分の精神を内観するという方法を用いて意識を観察・分析しようとしました。また、さまざまな感覚が統覚によって統合されると考えていました。また、ヴントは民俗心理学を創始したり、メトロノームを使用した実験によって感情の三次元説を展開するなど、心理学史においてあまりにも多大な功績を残しています。
自己観察(内観)、自己分析は現代の就職活動の際にも必要となっていますよね。ヴントのものとはちょっと違うかもしれませんが。
今日に至るまで、この内観や感覚統合によって人の心理を分析する方法や、ヴントの残した足跡からの実験的方法は発展を続けており、心理学における考え方の主流となっています。このヴントの足跡の後に、他の学派から反発を受けることになります。
【ジークムント・フロイト(1856-1939)】
ジークムント・シュローモ・フロイト(Sigismund Schlomo Freud)は、1856年にオーストリアで生まれた心理学者です。元々は神経病理学者でしたが、精神科医となり、神経症・無意識研究を行ったり、心理性的発達理論、リビドー論を提唱しました。また、精神分析学の創始者として知られ、今回紹介する3人の中では最も知っている方が多い人物ではないかと思います。
フロイトは3歳の時にウィーンへ転居。17歳でウィーン大学に入学後、医学部の生理学研究所に入り生物の精髄神経細胞の研究をしました。やがてフロイトは脳の神経活動としての心理活動を解明するという壮大な目標を持つことになりました。1884年からはコカイン研究に没頭し、臨床研究にも使用し始めましたが、2年後の1886年にコカインの常習性と中毒性が報告され、危険物質という認識が広まるとともに、不審な目で見られるようになりました。
コカインに没頭しているやばいやつっていう目で見られていたんでしょうか
1885年にパリへ行き、シャルコーから催眠によるヒステリー研究の治療法を学んだ。このころからフロイトの治療観は精神分析による根治よりも、一時的に症状を取り除くことに変化していき、人間の意識にはまだ知られていない強力な作用、無意識があるのではという発想につながっていきました。
1886年にウィーンに帰り、開業医として催眠によるヒステリー治療に取り組み、自由連想法を編み出しました。これを毎日施すことによって患者は全てを思い出すことが出来ると考えた治療法を精神分析と名付けました。
1895年、フロイトはヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果であると発表し、ヒステリー患者が無意識に封印した内容を、身体症状として表出するのではなく、回想し言語化して表出することができれば、症状は消失するという治療法にたどりつきました。
長い研究の末に、無意識に封印した内容を患者が話す(離す)ことで治っていくということがわかったんですね。今日でいうカウンセリングの原型ではないでしょうか。
その後、フロイトの関心はヒステリー・心的外傷から無意識そのものへと移り精神分析は無意識に関する科学として方向付けられ、自我・エス・超自我からなる構造論と神経症論を確立させました。
このフロイトは度々有名人やTVで名前が出てくることが多いので、この機会に覚えていただけたらなと思います。
【ジョン・B・ワトソン(1878-1958)】
ジョン・ブローダス・ワトソン(John Broadus Watson)は1878年にアメリカで生まれた心理学者です。行動主義心理学の創始者として、心理学の一大潮流を作り出しています。
ワトソンの両親は、母親は知的で敬虔な人でしたが、父親は酒と女が好きな人でした。父親が度々浮気をしていたこともあって、ワトソンが13歳の時に父親は家を出てしまいます。このような幼い時期の家庭環境もあり、ワトソンは頭はいいけれど怠惰で、母親にも教師にも反抗し、暴力沙汰も起こしていたという記述があります。
やはり幼少期の家庭環境は将来の人格形成に影響を与えるんですね。ただ、このような父、母ですがなぜ結婚したのかが不思議ですね。
1894年に大学に入りはしたものの学業には身が入らず、1900年にシカゴ大学に入学しなおして心理学を学びます。そして1903年に大学院で『動物の訓練』という博士論文で心理学の博士号を取得します。
1913年に「行動主義者から見た心理学」という講演をコロンビア大学で行っています。そこでは、当時まで主流であった意識を内観によって研究する心理学ではなく、観察可能な刺激や反応に着目する、行動主義心理学を創始しました。これは20世紀当時のフロイトによる伝統的な精神分析を中心とする実験心理学に反対し、心理学は科学的であるため、客観的に観察可能な行動を対象とすべきとしています。ワトソンは心理学の目的は行動の法則を定式化し、行動を予測・コントロールすることと論じ、行動の単位は刺激・反応の結合からなるとしました。ワトソンの主張は当時のアメリカ心理学を客観主義へと移行することに影響を与えました。
心理学の目的は個人の内観による症状の消失としたフロイトと、客観的に観察可能な行動の法則から推察するワトソン、まるで対照的ですよね。
ワトソンの行動主義心理学の考えに加え、パブロフの条件反射説の影響を受け、古典的条件付けが生まれました。また、後に刺激と反応の間に介在する有機体内の諸条件を考慮する新行動主義が誕生します。
ワトソンと関連することとして、パブロフの犬、アルバート坊やといった言葉が出てきます。特にパブロフの犬は心理学のみならず、様々な分野で知られていると思います。
ということで、今回は【すべては彼らから始まった!心理学の起源に影響を与えた3人の偉人!】として、ヴント、フロイト、ワトソンを紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
編集していて思ったんですが、偉人って風変わりなところがありますよね?今回でいうと勉強嫌いであったり、コカインに興味を持っていたりとか。
意外とそういう一面を持っている人の方が偉業を成し遂げやすいのかなと思ったりもします。
後にこれらの3人の功績からさらにいろんな流派や考え方が生まれてくるんですが、今回は割愛いたします。
今回の記事を読んでいただいて、少しでも心理学に興味を持っていただけたら幸いです。
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