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生涯、表現者でありたい

生涯、表現者でありたい


いち表現者でありたい。
改めてかんがえると、そんなふうに思ったのはいつのことだったろう?


音楽は昔からやっていて。
子供の頃、気づけばうちにはピアノがあったし、両親が音楽好き(やっていたわけではないけど)だったから子供の頃から音楽はいつも身近にあった。

でも私は自分の人生を深く考えるのが苦手なタイプだった。
正直、高校生くらいまでは自分の足で自分の人生を歩いてる感じはなかったかもしれない。

初めて音楽で生活できたらいいなと思ったのは高校3年生の頃。
「〇〇になりたい」という夢を持つのはかなり遅かったと思う。
趣味で好きな曲の弾き語りはやってたけど、実はその頃これといった信念があったわけじゃない。
もちろん両親は猛反対。
そして。
その反対を跳ね除けるほどの信念を私は持っていなかった。

「大学さえ出たら好きに生きていい」という両親の言葉を受けて、やっぱり信念もなにもないまま大学へ進学した。
今考えると本当に申し訳ない。
学歴コンプレックスの両親は、子供たちを大学まで行かせるのが夢だった。
その夢を跳ね除けて、まるでドラマのようにカバンひとつで上京みたいな勇気も持ち合わせていなかった私は、「大学行ったらバンドのサークルに入るぞ」というある意味親泣かせなビジョンを持って進学した。

自分で好きな音楽を作ってみたい。
本当にそう思えたのはその頃かもしれない。

大学で出会った仲間とバンドを組み、オーディションに出たりもして。
最終的には解散してしまったけど、今でも時々連絡を取っている。
でも、私だけは1人で歌のオーディションに行ったり、声をかけられれば誰かのバンドにヘルプとしてキーボードを弾いたり。

それでも年齢を重ねるごとに「ちゃんと社会人にならないと」なんていう焦りも感じていたのは事実。
結局会社員になったけど、趣味でバンドは続けていた。
それから何年かして、趣味のバンドも周りの昇進や家庭の事情などでいつのまにか活動もストップしてしまった。

初めて、全く音楽に携わらない時期ができた。
数年、紆余曲折あったけど、それでも結局音楽から離れられなかった。

今、音声配信という舞台を使って、もう一度音楽活動ができている。
もしかしたら、20代の頃よりずっと夢が膨らんでいるかもしれない。

そう。
自分の足で歩いて生きている。
その実感があるから。

そして今、自分の足で進みながら素敵な仲間と過ごしている。
あの頃とは少し違うけど。
「いち表現者でありたい」という気持ちは音楽を始めたあの頃よりずっと強いんじゃないかな。

表現者であり続けたい。
音楽も絵も、そしてこの文字の羅列も。
手段はどういうものだとしても。
自分の感じていることを表現できる場があるのは、生きている喜びにつながるのかもしれない。

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ピアノ弾きながら喋る人をやってます。弾き語りも時々。たまに絵も描いてます。写真と電車が好き。こちらでは好きなことや日々の気づきなども書いていきます。最近のお気に入りはピクミンとダイエットw

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