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笑いたければ笑え、泣きたければ泣け

笑いたければ笑え、泣きたければ泣け


プロなら、自分の心に支配されることなく、適切な声を出し、必要とされている話ができなければならないと考えています。しかし、音声配信は自分の心のままに、楽しい時には楽しく、悲しい時には悲しく、ありのままを表現する方が、話す方も聞く方も気持ちが良いものです。私たちはアナウンサーでもなければ、本職のラジオパーソナリティでもありません。かしこまる必要もなければ、自分というものを押し殺す必要もない。音声配信では、自然に、泣いたり、笑ったりする心の動きが、リスナーの心を動かします。

あなたが、音声配信をするとき、〇〇をしてはいけない、という考えかたはありませんか?例えば、生活音が入ってはいけない、ペットの鳴き声が入ってはいけない、飲み物を飲んではいけない、笑い転げてはいけない、泣き崩れて喋れなくなってはいけない。私はたくさんの音声配信を聞いてきましたが、これらの「してはいけない」を聞いた時、それほど絶対にあってはならないことだ、とは思ったことがありません。つまり、大概の「してはいけない」は、配信者が「してはいけない」と思い込んでいるだけだったりするんです。

私の話をします。私は、音声配信を始めてから最初の1ヶ月ぐらいは、大雑把に話を決めてしゃべっていましたが、2ヶ月目からは原稿をきっちり書いてそれを読むような配信をしていました。当時は、きちんと読むことが正義だったので、噛んだり詰まったり、言い間違えたりしたら、全部取り直しをしていました。その「間違えてはいけない」という強い思い込みのせいで、実は、長い間、ライブができなかったんですよね。なぜなら、ライブなんかしてしまったら、うまく話せるわけがないと思っていたからです。音声配信を始めて6ヶ月目、ある日、名無しの匿名レターが来たことをきっかけに初めてライブをしたんですが、噛み噛みだったし、言い淀むし、言い間違えもしてしまいました。そこで私はようやく気がつきます。私に求められているのは、特別にうまく喋ることじゃない、ということです。話す内容にさえ、意味を持たせることができるなら、外側の美しさはそれほど大事ではなかったんですね。もちろんうまく話せることに越したことはありませんが、第一優先ではなかった。それよりも情緒豊かに、自分の言いたいことを、確かに伝えられるように表現することの方がよっぽど大事なんです。

それからほぼ毎週、定期的にライブをやるようになって、1年以上が経ちました。私はいまだにライブでうまく話せない。うまくいかなかった日もありました。でも私のライブに来てくださるリスナーさんがいるし、アーカイブを聞いてくださる方も少なくない。それは、笑ったり、時に泣いたりしながら、すこしずつ、自分らしさを表現することができるようになってきたからだと思っています。カッコつけて、よそ行きの服をめかしこんでいては、本当の私らしさは伝わりません。

もちろん、かっこもつけたい。見せかけだけでも良くしたい。だけど、それだけじゃダメなんです。私たちは、泥臭く、ありのままの自分をさらけ出すことで、本当の個性を知ってもらうんです。それが自分の魅力になる。そう思っています。

今回のゴリアスポイント!
不恰好な、自分は、恥ずかしい。でも、恥ずかしい自分の姿を見せることができること自体が、実はかっこいい。もちろん見せかけも大事です。できればその両面を見せられるといいですね。


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音声配信のプロです。
スタンドエフエムで高い認知をとっています。
シチュエーションボイスや声劇の台本を作っています。

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