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天使の話

天使の話


数年前のクリスマスの日。

詰まってしまったんですね。

何が? 

トイレです。

すっぽん(正しくはラバーカップというらしい)をつかって、
必死で何度もスッポンスッポンスッポンポン
と激しく責めて責めまくったというのに、
トイレの奴、というのか排水管の奴、
意地でも開通しやがらんのですよ。

で、ワイヤーとか使って、これまた決死の覚悟で突いたのです。

でも、排水管の残留物(ナニかはわかりますよね)
が顔に跳ね返ってきたりするばかりで、これまた、
ビクとも靡こうとしやがらんのですわ。

とにかくもう、顔中、
排水管の残留物(ナニかはわかりますよね)
がべたべたとくっつくばかりで、
どうにもならんので呼びましたよ。

プロの人を。

で、来ました。若い夫婦です。

しかも、
「トイレの排水管だけなら定価だけど、水回り全体のケアも含めると、
今ならキャンペーン価格で安くなります」ということで、
やたら沢山の事を、
ちょっとびっくりするような安価でしてもらいました。

クリスマスの昼過ぎから、もう薄暗くなるまで、
寒空の下、ひざまずいたり、
地面に這いつくばったりして。

身体中、
排水管の残留物(ナニかはわかりますよね)まみれになって。

しかも「えっ?」という端金で。
意味わからんくらい安い金額で。

夫婦同士の息の合った連携プレイで、
排水管の残留物(ナニかはわかりますよね)を綺麗に流してくれました。

彼らは仕事をしているだけ、
といえばそうなんですが。

でも、
私は何か違うものを勝手に受け取っていたんです。

私にとっては、一組の天使が現れたような。
そんな気持ち。
大げさではなく、
そういうものがそこにたしかに居たのですよ。

本当に困り果てていた事と、
クリスマスである事。
若い夫婦である事、

誰もが嫌がる汚い作業であった事、
安すぎる値段である事。

色んなことが重なって、後から考えても、
あれは本当にあったことなのだろうか?
と、不思議な気持ちでした。

クリスマスに天使が現れてどうにもならない問題を解決して去っていく、、、。

そういう話は古くからあると思いますが。


映画だったら、
フランク・キャプラ監督の1946年の作品
『素晴らしき哉、人生!』が有名ですね。

アメリカでは、今でも必ずクリスマスイブにはテレビ放映されるそうですが。

私もキャプラは大好きな監督なのですが、
この作品はそれほどでもなく、
最も好きなのは1938年の『我が家の楽園』です。

原題は「いくら金を儲けても、あの世までには持って行けない」という意味です。

これは金銭欲に取り憑かれた大会社の社長と、
その会社に地上げに遭う地域の、
ある変人ばかりの家族的共同体との邂逅を描いたドラマなのですが。

ここで描かれるのは友情だとか、
いろいろあるのですが、
その中に
「仕事って何?」「天職とは?」「個性とは?」
という問いがあります。


年に一度は見返す映画です。
自らの適性だとか、ブランディングだとか、
「売り」だとか、そういったことを考えるにあたって、
非常に参考になる映画なのではと思います。

是非一度どうぞ。

⇓まさにこの、えるさんのツイートのような映画です。


観ればきっと、何故私が推すのか、良くわかると思います。

そして、強く影響を受けるはずです。

 

追伸  
今でも彼らを何か尊いものの様に感じます。

けれど、多分、尊いものは彼らなのではなく、
労働で人に尽くしていくという行為自体だったのかも知れません。

そういう意味では、誰の中にもそれは宿っているはず。



では。また。


ぺちまでした。

 

 

 


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