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名画座、我が愛

名画座、我が愛


去る7月末日。
神保町にて、一つの名画座が54年の歴史に幕を下ろしました。
その名は岩波ホール。

映画好きの筆者は、ここでいくつもの作品を観てきました。
いずれ劣らぬ名作ぞろいで絞りこむのは難しいですが、印象深いタイトルをひとつ挙げるなら「少女は自転車に乗って」というサウジアラビアの映画です。
映画の原題は、主人公の少女の名前そのもので、「ワジタ」といいます。ワジタは快活でチャーミングな女の子。パパにもママにも、生まれてきたことを喜ばれ、天真爛漫に生きているのに、女の子だからという理由で自転車を買ってもらえません。そして、ワジタが女の子だからという理由で、パパは周囲から「子供がいない」とみなされているのです。
男性優位のサウジアラビアで育つ、女の子である主人公。男性の名前ばかりが並ぶ家系図に、こっそり自分の名前を書き足すワジタの、幼いながらも凛々しい横顔にほれぼれしたことを、昨日のように思い出します。

とまあ、こんな感じでここで観てきた映画について語る内容は尽きませんが、今回のテーマは、映画館、中でも封切館とは異なる「名画座」という場所についてです。
 
筆者が映画を好きになったのは、小学生の頃でした。
母に連れられて、東映まんが祭りみたいな子ども向けの映画にはよく行っており、それはそれで大好きだったのですが、ある日何かの試写会に連れて行ってもらったことがあります。
子ども向け映画ではなく、また試写会であったため、時間帯は夜。母は作品の内容に何か思うところがあって連れて行ってくれたのだと思うのですが、筆者の印象に残ったのは映画そのものではなく、いつものアニメ祭りとは異なる、「映画館」という空間の持つ魔力でした。
社会派の映画の内容は小学生には理解が難しく、たまたま来ていたテレビのリポーターの方に映画の感想をきかれマイクを向けられたのですが、筆者は「夜の映画館て面白い!」と的外れな回答をしてしまったことを覚えています。喧騒とは無縁の不思議な空間。映画が始まるまで、思い思いの方向を向いて、水槽の中の魚のように佇んでいる人たち。みんな何を思っているんだろう。わーっ!きゃーっ!楽しい!とはしゃぐ声は皆無でありながら、きっと今、この人たちはとても楽しいんだろうなと、子ども心に感じました。「おねえさんは映画の感想を真剣に聞いてくれたのに、ふざけたことを言わないで」と母にたしなめられましたが、これが筆者の偽らさる感想でした。
 
その後高学年になると、テレビで放映される映画を録画して繰り返し観るようになり、新作映画の情報なども徐々に自分で見聞きするようになりました。そして中学生になり、少し遠くの街中の学校に通うようになったことから、映画館が自分の移動圏内に入ってきたのです。
 
休日に友達と待ち合わせて映画を見に行く。大人になったようで本当にワクワクしました。ところが、こまっしゃくれていた筆者の好みは、なかなか友人たちの観たい映画と合わないこともしばしば。少ないお小遣いをやりくりしてせっかく映画を観るのであれば、観たくもないハリウッド超大作などに費やしたくはありません。
 
かくて筆者は、ひとりで映画館に赴くようになりました。中でも、新作映画を配給会社のスケジュール通りに公開するシネコンではなく、独自のプログラムを組んでいる「名画座」と呼ばれる映画館を訪れる機会が自然と増えていったのです。
 
そんな中の一つが岩波ホールでした。ドキドキしながら地下鉄の駅を上がり、チケットを買って席に着く。映画が始まるまでのざわめきと、上映開始を知らせるブザーの音を合図に座席に深く体を沈める人々のかすかな安堵を含むため息。映画の内容と同じくらい、あの空間でそれらを味わうことに喜びを感じていました。
 
そんな「映画は一人で」派の筆者ですが、岩波ホールのラスト観劇は、可愛い甥っ子とスクリーンを共にしました。これから世の中を学んでいく彼にとって、岩波ホールという空間に「間に合う」ことは、とても素敵なプレゼントになるのではないかと思ったのです。
 
壁一面に貼られた過去上映作品のチラシを眺めながら、彼が何を思ったかはわかりません。かつてはとてもおしゃべりだった甥っ子ですが、思春期を迎え、すっかり口数が少なくなってしまったからです。映画を観て、喫茶店でカレーを食べ、周辺の古書店を冷やかして本を何冊か抱えて帰る。今どきの若い子にとってはいささかしぶい休日の過ごし方だったかもしれませんが、少なくとも筆者は、甥っ子と一緒にとても楽しく、岩波ホールとのお別れができたことに満足しています。
 
満足したのも束の間、今度は飯田橋のギンレイホールが閉館してしまうという悲報に打ちのめされました。またひとつ、愛しの空間がなくなってしまいます。
形あるものはすべて失われる運命なので、こうして次々と、老舗の名画座が灯を消していくのは避けようがありません。しかし、映画への愛と、映画館への愛が失われることはないでしょう。サブスクでいつでも見られる、スマホの画面で倍速鑑賞。そんな鑑賞スタイルも大いに結構ですが、劇場に足を運ぶ映画ファンがいる限り、どこかでまた、新たな名画座が生まれてくるに違いありません。これからも、空間ごと映画を愛して生きていきたいと思います。
 

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フリーランスのモノ書きです。

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