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辛口英語教育論 (4)

辛口英語教育論 (4)


さて、3日前 <https://topview.jp/t62ce434d521e2-4642> から、

This is a pen.:「こんな英文、現実にはまず口にしないだろう!」と、したり顔で烙印を押される典型的な文

をトピックにして、

この種の発言って大方の場合ただの「受け売り」になっていないだろうか?実はあまりにも一方的で一面的な物言いではないだろうか?

という問題提起をした上で、この問題をいくつかの要因に分けて考えてみたい、としました。そして、要因分析として、

 <想像力><有用性><文法><発音>

といった要因を順次取り上げていきます。

と宣言しました。


今日は、<文法>―とりわけ、彼我の、つまり日英の<文法>の相違点―という要因に関して、述べたいと思います。
この<文法>の話は今後何回かに分けてお話しします。

<文法> (1)

 This is a pen.(英語:<冠詞>あり)
   vs.
 「これは(△一本の)ペンです」(日本語:<冠詞>なし)

 These are pens.(英語:文法上の<数(すう)>という概念あり)
   vs.
 「これ(ら)はペン(たち)です???」「これ/ここにあるのはペンです」(文法上の<数(すう)>という概念なし)

 (因みに、文法上の<数(すう)>という概念 ≠ 現実世界の<数(かず)>という概念 であって、両者を混同してはいけませぬ。―文法用語の「数(すう)の一致」も「数(かず)の一致」などと言ってはいけませぬ。―たまにそういうことを平気で言う教師も残念ながらいたりもしましすが...。
 日本語に文法上の<数(すう)>という概念がないとはいっても、日本人だって「1」と「2」と「3」… の区別は当然つく訳です。
 逆に、英語で文法上<単数>vs.<複数>があるとはいっても、英語圏の人も「1」と「2」と「3」… の区別は当然つくけれども、
 「2」と「3」は文法上は共に<複数>なのであって、その意味では文法上は区別がない訳です。)


 さてここで、

  でも、「これら」「それら」「あれら」という言い方、日本語でもするじゃん!

という反論が聞こえてきそうです。そうですね~。だけど、よく考えてみてください。

これらの言い方、もとい、こうした/こういった/この種の/この手の言い方は、極めて「バタ臭い」「翻訳調の」の日本語なのであって、少なくとも「座りのいい/自然な」日本語ではありませんよね?「座りのいい/自然な」日本語は、まさにいま書いたように「こうした/こういった/この種の/この手の」等々と既に<いくらでも>ある訳です。

「座りのいい/自然な」日本語を既にたくさん持ち合わせているのに、なんでよりによって、好き好んで、わざわざ、こともあろうに、極めて「バタ臭い」「翻訳調の」の日本語を使うの?って話ですよ。
これはもう、<語感>が鋭いか鈍いかの問題と言っていい切っていいし、さらに言うなら、なんで日本語を使うときにいちいち英語に<義理立て>するの?って話でもある訳です。これじゃあ、英語を学ぶこと自体が半ば<仇>になってないか?って話です。

ここでちょっと話の風呂敷を広げちゃうと、これは実は<人間関係>にも相通ずる話なのです。例えば男女が付き合うときに<ベストな関係>というのは、思うに、<自分らしさをちゃんと認めて外に出しつつ、相手の個性も同時に尊重する>ってことでしょう。これとちょうどおんなじことが、<日本語~英語>間の関係に関しても言えませんか?ってことです。

 それでも、

  ちょと待ってよ。例えば「七夕のとき警官<ら>が出てた」って言えるし、それから、「人々」「山々」「家々」という言い方だって日本語でするじゃん!

っていう反論が聞こえてきそうです。そうですね~。う~ん。だけど、よく考えてみてくださいな。

...と言いたいところなのですが、少々長くなってきたようなので、この続きはまた明日にしましょうか。

では、明日以降もどうぞお楽しみに~。

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