辛口英語教育論 (12)
辛口英語教育論 (12)
さて、11日前 <https://topview.jp/t62ce434d521e2-4642> から、
This is a pen.:「こんな英文、現実にはまず口にしないだろう!」と、したり顔で烙印を押される典型的な文
をトピックにして、
この種の発言って大方の場合ただの「受け売り」になっていないだろうか?実はあまりにも一方的で一面的な物言いではないだろうか?
という問題提起をした上で、この問題をいくつかの要因に分けて考えてみたい、としました。そして、要因分析として、
<想像力><有用性><文法><発音>
といった要因を順次取り上げていきます。
と宣言しました。
今日からは、<発音>という要因に関して考察してゆくことにします。
<発音> (1)
実は<発音>に関しては、辛口英語教育論 (9) <https://topview.jp/t62d91e2630a67-4778>、辛口英語教育論 (10) <https://topview.jp/t62d97369a5d5b-4798> でも少し触れるところがあったのですが、今回からはもう少し本格的に考察したいと思います。
まずそもそも、上図に示すように、文の<発音上の構造>と<文の構造>とは往々にして<ズレ>ます。
そして大事な点は、これは何も<例外的なこと>なのではなく<ごく普通に観察されること>である、という点です。
さらに、図では<文の構造>として「生成文法理論」に基づく考え方を便宜上示しましたが、
実は筆者の奉ずる「ひな形方式」という枠組ではこれとはまた別様の図式化を提唱・想定します。
ここでこの枠組に深入りする余裕はないのですが、ご興味をもたれた方は以下の動画をご参酌ください。
<https://drive.google.com/file/d/1US6tt-FL6s1eb7xuq-HUtXGe5UbXWzZg/view?usp=sharing>
ただしここで1点重要な点を付け加えておきます。
動画では以下の6英文が便宜上<連続して>読まれはするのですが、
この6英文は、そもそも、それぞれがいずれも<別個の>文である、という点が極めて重要な点となります。
(a) This is a ball-point pen.
(b) Is this a ball-point pen?
(c) This isn’t a ball-point pen.
(d) Isn’t this a ball-point pen?
(e) This is not a ball-point pen.
(f) Is this not a ball-point pen?
例えば (b) の文は、決して、(例えば「学校文法」や「生成文法理論」で想定されてしまっているように)
(a) の(基底にある)文が基になって<派生>される訳では「ない」のです。
(a) の文は「これがボールペンだ」ということを<知っている>人の発する文なのに対して、
(b) の文はそもそも「これがボールペンかどうか」<わからない>人が発する文なのですから、
一方から他方を導くー<派生する>ーという発想自体が、根本的に間違った前提に立っている訳です。
では、明日以降もどうぞお楽しみに~。
This is a pen.:「こんな英文、現実にはまず口にしないだろう!」と、したり顔で烙印を押される典型的な文
をトピックにして、
この種の発言って大方の場合ただの「受け売り」になっていないだろうか?実はあまりにも一方的で一面的な物言いではないだろうか?
という問題提起をした上で、この問題をいくつかの要因に分けて考えてみたい、としました。そして、要因分析として、
<想像力><有用性><文法><発音>
といった要因を順次取り上げていきます。
と宣言しました。
今日からは、<発音>という要因に関して考察してゆくことにします。
<発音> (1)
実は<発音>に関しては、辛口英語教育論 (9) <https://topview.jp/t62d91e2630a67-4778>、辛口英語教育論 (10) <https://topview.jp/t62d97369a5d5b-4798> でも少し触れるところがあったのですが、今回からはもう少し本格的に考察したいと思います。
まずそもそも、上図に示すように、文の<発音上の構造>と<文の構造>とは往々にして<ズレ>ます。
そして大事な点は、これは何も<例外的なこと>なのではなく<ごく普通に観察されること>である、という点です。
さらに、図では<文の構造>として「生成文法理論」に基づく考え方を便宜上示しましたが、
実は筆者の奉ずる「ひな形方式」という枠組ではこれとはまた別様の図式化を提唱・想定します。
ここでこの枠組に深入りする余裕はないのですが、ご興味をもたれた方は以下の動画をご参酌ください。
<https://drive.google.com/file/d/1US6tt-FL6s1eb7xuq-HUtXGe5UbXWzZg/view?usp=sharing>
ただしここで1点重要な点を付け加えておきます。
動画では以下の6英文が便宜上<連続して>読まれはするのですが、
この6英文は、そもそも、それぞれがいずれも<別個の>文である、という点が極めて重要な点となります。
(a) This is a ball-point pen.
(b) Is this a ball-point pen?
(c) This isn’t a ball-point pen.
(d) Isn’t this a ball-point pen?
(e) This is not a ball-point pen.
(f) Is this not a ball-point pen?
例えば (b) の文は、決して、(例えば「学校文法」や「生成文法理論」で想定されてしまっているように)
(a) の(基底にある)文が基になって<派生>される訳では「ない」のです。
(a) の文は「これがボールペンだ」ということを<知っている>人の発する文なのに対して、
(b) の文はそもそも「これがボールペンかどうか」<わからない>人が発する文なのですから、
一方から他方を導くー<派生する>ーという発想自体が、根本的に間違った前提に立っている訳です。
では、明日以降もどうぞお楽しみに~。
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