プロローグ
プロローグ
鬱病だと診断されたのは23歳の頃。
でも診断される前から、私はずっと生きることに苦しさを感じていた。
私の両親は某宗教の信者であり、その子供は「二世」と呼ばれ、幼少の頃より宗教を信仰させられる。
「人のために生きなさい」
それが宗教の教えだった。
具体的に、どう生きることが人のためになるのか?
学生時代。精神的に未熟だった私ができたことは、「不満を言わないこと」であったり、「相手に合わせること」だった。
それが生きることの苦しさに繋がるとは知らず。
詳しいことは省略するが、結果的に人間関係は上手くいかなかった。
学校でも家庭でも、どこか居心地の悪さを感じてしまう。
人間不信になっていたのかもしれない。
とにかく人と関わるのが嫌になっていた。
そして、そんな自分自身のことも愛せず、自己嫌悪の日々だった。
憂鬱に抗えず、高校生の頃に1年休学をした。
大学生の頃にもまた1年休学をした。
社会人になっても苦しさは変わらず、大学卒業後の1年間に2社就職し、どちらも半年以内で退職してしまう。
学歴も職歴もボロボロで、生きることに希望も無い。
この命すらも捨ててしまおうかと思った。
「もう自分のために生きてもいいんじゃないかな」
それは小学生の頃からの友人の言葉だった。
そうだ。
死ぬくらいだったら、ヘタクソでも生きてみよう。
余生だと思って自由に生きよう。
ここからが「私の人生」の始まりだ。
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