メイン画像

空が似ていた

空が似ていた


遠くてめったに行けないけれど、三十三間堂がお気に入りの場所だ。
新卒で入った会社を辞めて再就職に苦戦していた頃よく通った。晴れた日も雨の日も、陽気の下でも底冷えの中でも、そこではいつも心が安らいだ。
千体並ぶ観音像、リアルな姿の二十八部衆。物言わぬ像たちに親近感を覚えた。賑わいを感じ、淋しい気持ちが薄らいでいった。縁側のようなところに腰かけて、小石が敷き詰められた広い敷地や、塀に切り取られた空を眺めるのが好きだった。
時間が止まる場所だった。自然と思考も止まり、すべてはこれで良いのだと感じた。

あれから何年も経ち、企業に所属して小忙しく暮らしてきた。頭も心も、いつもなにかで充満していて鎮まることがほとんどなくなっていた。
時間はあっという間に過ぎて心は焦り、なにも得ていないことを嘆き、それでも変えることなく繰り返す日々。駄目だ、なにもかも良くないと自らを責めていた。
どんなにあくせく働いても、考えを巡らせても、平安な心にはなれなかった。深い思い込みによって自らを縛り、世間の価値観が大切な領域にまで入り込んでいた日々だった。心と思考に深く刻まれた溝が、すっかり流れを作ってしまっていた。
今日、三十三間堂を思い出したのは、家の庭から眺める空が似ていたから。すべてはこれで良いのだと思えそうな気がした。本当の自分。なにを大切にしていて守るのか。思い出せた。

空を見ていた時、きっと私はあの大好きな場所とつながっていた。穏やかな心で信じていたあの時間ともつながっていたのだ。

アカウントを作成 して、もっと沢山の記事を読みませんか?


この記事が気に入ったら 寺田羽南美 さんを応援しませんか?
メッセージを添えてチップを送ることができます。


この記事にコメントをしてみませんか?


自作のエッセイを掲載します。

このクリエイターの人気記事
その他 - 2023/01/14 11:06

おすすめの記事
2023/01/16 12:20 - ライターチョコお茶
2023/01/14 11:06 - 寺田羽南美