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イティハーサに絡めてスピの話

イティハーサに絡めてスピの話


イティハーサとスピリチュアルの関係についての勝手な考察を書きます。ネタバレしまくるので、これから読む方はお気をつけください。

 べつに霊感とか何もないんですが、スピリチュアルなことはとっても気になって見てしまいます。

 で、最近、スピリチュアルリーダーとされる方々が、SNSに配信している内容と、先日紹介したイティハーサの内容が当てはまり過ぎてるっ!話です。

 なんか、このタイミングで読み返したくなったのも“見えない意図”(これもイティハーサの中に出て来る言葉)があるのかも、と思ってます。


 ※注 スピ苦手な方は、これ以上読まないでください。でも、何かの間違いで読んじゃったよお!っていう方は、絶対最後まで読んでほしい。


 スピリチュアル好きな方はご存じだと思いますが、時代は土の時代から風の時代に変わり、地球はアセンション(覚醒)に向かっていて、五次元と三次元の二元化が始まっているって言われています。

 以前に紹介したイティハーサという漫画、数十年前の漫画なのに、今しきりに発信されてるこのことを予言されているような台詞がいっぱいあります。

 作者の水樹和佳(改名して水樹和佳子)先生はそういうつもりで書いたわけじゃないみたいですが、もうこの時代を予言しているとしか思えないような登場人物の台詞がいっぱいあります。

  特に、最後の場面、

 “神は一神にあらず、ここが砦になる”

 これ、スピの世界で言われている、日本がキーになる。自分自身が神で宇宙っていうのにつながる気がします。

 その前に、情報は魂に蓄積されるっっていう見えない神々の台詞、スピ界で言われる“アカシックレコード”のことだって思いました。

 また、わりと最初のほうに無有と有蘇耶という大陸が海に沈むと巫女が言っていて、漫画では無有は神の国でアスカは科学の国という感じで描かれていますが、これスピで言われてるレムリアとアトランティスのことじゃないかと。

 レムリアとアトランティスも海にしずんだ古代にあった国とで、今、その魂を持った人たちがたくさん地球に転生していると言われています。


 他にもぐっと心に刺さる言葉

 「大差ない、善も悪も」という悪神として描かれている威神の戎士の頭の言葉、これスピ界で言われてる“ジャッジしない”に繋がると思います。

 そして、物語の重要人物、覡(男の巫女)でもある青比古が威神の戎士に言った
 「そのまま死んではいけない、心に傷を持ったまま死ぬとまたそのまま生まれてしまう」
 という言葉はカルマのこと言ってるねっ、てなります。

 で、今回読み返してみて、一番印象に残ったのが

「人はみんな、幸せになるために生まれてくるんだと思う」という物語の主要人物、透祜(夭祜)の言葉と

「そこにあって必要でないものはない」という青比古の言葉。

 これも、スピ界でよく言われているフレーズだけど、「人はみんな、幸せになるために生まれてくるんだと思う」と言った時、透祜は威信のもとで人を殺めながら生きてきた夭祜と魂を重ね合わせ、1人の人間となり、その罪を背負って生きていました。
 
 そして、青比古がそれを言った相手は、威神の戎士としてたくさんの人を殺めた比々希という男性。

 ともに罪を背負って生きている者でも、幸せになるために生まれてきている。生きる価値がある、必要だから存在していると言っています。

 スピリチュアルリーダーなる方々も、今生まれてきている人は神に許可されて生まれてきている、幸せになるために生まれてくる。必要じゃないものはこの世に存在しないとしきりに発信してます。

 で、今、地球は五次元にアセンションしようとしてるけど、苦しみを終えて夢のような思ったままになる(私はそう捉えてる)五次元に移行する人と、三次元で学びを続ける人の二種類に分かれる二元化の時代になり、どちらを選ぶのもそれぞれの選択次第らしい。

 イティハーサでは夜彲王という謎の存在が、透祜に自分とひとつになるかどうかの選択をせまるけど、“こばんでもいいんだ”とも言います。

 夜彲王は力も知識も与えられているけど、人として必要なものが欠けていると自分のことを表現してるけど、人として必要な欠けているものって“感情”だと思ったんです。

 透祜は、この時点で心に喜びも愛も、悲しみも、善も悪も、人として経験し得るすべての感情を抱えている。それがひとつになることで、完全な“人”になるんだと、私は受け取りました。

 その後が謎なんだけど、夜彲王が

 「いつか全てが終わった後、人類がそれを選ばず輪廻転生を選んでいれば、私たちは一つの魂として輪廻の輪に戻る」

 って言います。

 夜彲王の言う、全てってなんなんだろう。?????。

 その前に、これから1万余年後の未来に唯一神が、この星に降臨するって言うんだけど、このお話の時代が12000年前と書かれてるから、これってキリストのことを示唆してると思うんだけど、全てを与え全てを奪うって言ってる。これは「信じるものは救われる」というキリストと、イティハーサの中で描かれている祈りをささげると全てを与えてくれる“天音様”を重ねているのかなと思われます。

 イティハーサの中で、“人類は進化する反調和”、“完全な調和はすわなわち無”と言っているけど、今スピ界でしきりに発信されているのが“統合していく”“ワンネス”“源へ帰る。”これってイティハーサで言われている“完全な調和はすわなわち無”なのか? それは破壊への道なのか、三次元へ残るのが進化への道で、五次元へ移行するのが進化のストップなのか。

 透祜は夜彲王と一つになり、輪廻の輪に戻ることを選ぶけど、祈るだけですべてが与えられると、人は学ぶことをやめ、祈ることしかしなくなり、進化を止めてしまうから三次元で学び続けろ!とイティハーサは伝えたいのか?

 いや、でも最後のページの最後のほうに

 ・・・そして新宇宙・・・

 という言葉があります。

 キリストの誕生から2000年余りが経った今、夜彲王が言った“全て”が終わり、人類は無有やアスカ、レムリアやアトランティスとも違う、今までに経験したことのない進化へ進もうとしているのかもしれない。

 水樹先生のほかの作品を読んでみて、水樹先生は輪廻転生を信じている人で、そこから学び、それを楽しもうとしている人という印象を受けました。

 ほかの作品も、もちろん素敵なんだけど、イティハーサは、そこから伝わってくる気迫というか、パワーというか、ほかの作品とは明らかに違う気がするし、絵の綺麗さ、力の入れようも他の作品とは明らかに違うように感じて、なにか、見えない力に動かされて書かされているように感じます。

 水樹先生自身、ツイッターで

 『イティを書いているときはわからなかったけど、今なぜこれを書かなきゃいけなかったか分かった気がする。自分が追いついた』

 と書かれています。

 発表された当時、そこまでメジャーにならなかったこの作品が、SNSの時代になり、当時読んだ人が再読したり、若い人にも読まれるようになり、いろんなところで感想や考察が発信されてるのも何か不思議な意図を感じます。

 いずれにしても、一人一人の選択の先に一人一人違う世界が広がっていて、それぞれが素晴らしいものであることは間違いないと思うのです。

 とはいえ、そこに何があるのか、人とはなんなのか、地球は、宇宙はどこへ向かって、どうなるのか、追い求めるほど謎は深まるばかり。

 人間ってみんな、何かがかけていて、一生の中で何かを探そうともがいている気がします。夜彲王と透祜が一つになったように、足りない何かを見つけて三次元の学びを終え、たくさんの魂が五次元に移行していく時代が来たのかもしれない。


 まったく見当違いかもしれないけど、イティハーサと今スピ界で言われていることを重ね合わせて、思ったことを私の感想として書いてみました。

 ※あくまで私の見解ですが、なんかどうしても書きたくなったので書いちゃいました。

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在宅ワーク+主婦のアラフィフのおばちゃんです。在宅ワークのこと、日々の出来事、感じたことを書いたり、プチ創作したりします