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手放した後の空白をどうするか

手放した後の空白をどうするか


こんにちは、えぬです。

もうそろそろですね、今まで信じてたものとか、今まで重きを置いてきたものとか、そういうものの中には手放していいものが結構あるなぁと思い始めている、今日この頃なんです。

例えば先日の声日記にも挙げたように、 自分がずいぶん大人になってから育った環境についての真実であるとか、 いろんな気づきであるとか、そういうものを知った時に、 自分の中で価値観が180度変わるんですよね。

全てがとは言わないけれど、 そんなに言うほど重きを置くところではなかった。そういうことがわかった時に、 自分の足元がぐらぐらと崩れ去っていくような、心許ない気持ちになったものです。 その感覚っていうのはまだずっと続いているんですね。

結構長く生きてきて、 うまくいかない時、人生があんまり自分の思い通りに行っていないという時に、過去にさかのぼって解決の糸口を見つけようとしてしまう。でも、優先すべくすべきことは、今やり続けていることを変えていくこと だと思うんですよね。

仕事においても、 うまくいかないのであれば、そのやり方そのものを変えていく必要があるわけで、 それと全く同じかなと。

やり方だけでなく、 考え方、重きを置くところ、価値観もですよね。全部そういうものを 取っ払ってやり直す時期に、自分はいるんだなぁって、 今思っているんですね。自分を変えることにも、なると思うんですよ。 ただ、闇雲に自分を変えるんだって言ったところで、 どの方向に変えるのか、そういったものがなければ、 変えようがないわけですよね。

今日のこのお話は、だらだらと思うままに、 綴ってみたいなぁと思って、今、何のゴール地点も、 設定していません。

ちょっと話はそれるか、それとも何か関係しているのか、 自分でも分かりませんけど、ふと思い出したことがあります。生物学者で、動物言語学を研究していらっしゃる方がいらっしゃって、鈴木俊隆さんという、東京大学の最先端技術研究センターかな?はっきり覚えてないんですけども、 そこで、鳥の、シジュウカラの言語を研究していらっしゃる 学者さんがおられると。

その方のお話を、 動画で見て、こういう研究っていいなぁって 思ったんですね、なんとなく。シジュウカラには、 ちゃんと言葉があって、蛇とか鷹とか、 危険だ、警戒せよとか、そういう決められた単語があって、 それでコミュニケーションをしたり、または単語と単語をくっつけて、 文章というかですね、短い文章にして、 コミュニケーションをとったりしているそうです。それを、研究と実験を繰り返して、 科学的に証明したと。私たちって、例えばペットを飼ったりして、 医師の疎通ができているような気持ちになる時がありますが、ああいうのとは違って、本当に客観的に間違いなく、 言語があるんだ、ということがわかったそうです。

その研究が、鈴木さんが言うにはですね、 自然をより理解する、鳥の世界がどういう世界であるのか、ということを理解する、 すなわちそれは自然というものを理解する、そういうきっかけになる、 というふうに言われていて、本来は人間も自然界の一つの生き物ですから、コミュニケーションをとって、 その自然界の輪の中で、馴染みながら共存していくことができるはずだ、 というふうに、そういうビジョンを持ってされていました。

ひろゆきさんとかいろんなタレントさんも出ている 番組で見たんですけど、 そこでこの研究はどういったことに役立つんですか、という質問が上がってくるんですよね。 シジュウカラだけでなくて、 これがカラスだったり、そのカラスの言語も、 後々にはわかるようになれば、人間のゴミ収集場を荒らしたり、そういう時に、 カラスに交渉するというか、注意を促す。そんなこともできるようになるといいとか、そういう質問をされるわけです。

鈴木博士が方々で受ける質問は「地震の予知に役立ちますか?」 というものが多いのだそうです。人間はやっぱり、 人間が一番頂点に立っていると思っていて、何かの研究、動物なりの研究をする時に、それが人間の生活にどう役立つのか、そういう視点で、 見ていくことが多いんだなぁって感じました。一番自然な反応かもしれません。 一番自然な疑問、質問かもしれません。

なぜ私が、この研究、この博士は良いなって感じたのかというと、人間を何かの役に立たせようではなく、人間が自然に対してもっと親しみを持ったり、理解を示したりすることができるんじゃないか、 そのきっかけになるんじゃないかというビジョンを持っていらっしゃるというところが、やはり研究者っていうのは、 そうであってほしいなぁって思ったんですね。人間にどのように役立つか、 というよりは、人間が自然に歩み寄れる、 その一端になるんではないか。なんかそういう、本当にナチュラルで、 ピュアな視点であってくれた、そういう風なビジョンを持っていらっしゃったということが、 聞いていてすごく嬉しかった。

また別の観点からのお話しが興味深くて、人間と鳥が、じゃあいつかは会話ができるようになるのか、 という質問も、そういう感じの質問もあった時に、そうではないんだと言われていて、人間の世界の会話というものと、 鳥の世界の会話というものは違ってる。それは、鳥っていうのは、 他の動物もそうかもしれませんが、 目に見えるもの、目の前で、 たった今認識できるものに対しては会話ができる。
でも、人間は、目の前にないものに対しても、 そして今ではなく過去や未来に対しての会話もできる。そこが決定的に大きな違いであるので、人間と同じような会話をその感覚でしているのか、 というと全く違うんです。っていう風におっしゃってました。

そこらへんがハッとしまして、そうか、人間は、私は、何もいつも目の前にあるもの、目の前の現実だけに、 囚われる必要はないんだ。その会話を聞きながら思ったんですね。

鳥は、動物は、今という時間と目に見えるもの、たった今、 知覚できるものに、どうしても囚われる。そこに囚われるしかないんだ。 という風に言われてたのかな。
じゃあ私たちはその逆で、 今目に、目の前なくても、未来のことであっても、 それについて、思考することや、会話をすることや、 他者と意思疎通をすることができる。それって、大きな武器だなぁって思ったんですよね。

普段、日常のいろんなサジに追われていると、どうしても目の前のこと、 たった今の現実、たったそこら辺1年とか、 そこら辺の短いスパンでしか、小さなビジョンでしか、 自分の人生などを考えることができない。だから苦しくなるんだなぁって思ったんですね。

最初のお話に、これで繋がるんじゃないかなって思うんですけど、今まで自分が標準だと思っていた価値観、今までそれを大事にしていれば大丈夫なんだと思っていた価値観、考え方、 拠り所にしていたこと、それらすべては、もう手放してもいいのかなと思ったんです。
手放したら、じゃあ何にもなくなるという不安が浮かびます。じゃあ代わりにどんな価値観が欲しいのか、どんな基準が欲しいのか、目に見えなくても、今感じ取れなくても、それこそ未来を見て、見えないものを見て、見えないものについて、人と対話する。自分と対話する。誰かを巻き込んで対話する。そういうことは、できる。
できるから人間なんだ、ということを考えたんですよね。

今日はそういった思いを残してみました。今回はここまで。


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