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偉大なる小さな選手3選!【プロ野球】

偉大なる小さな選手3選!【プロ野球】


今回はベーブ・ルースら米大リーグ選抜チームが来日し、プロ野球が誕生して90年(2024年時)を迎える野球史の中で、身長が低くても偉大な記録を達成した選手を3名紹介します!
なお、この記事での「小さな選手」の定義としては、身長が170cm未満の選手としています(また、選抜方法は個人的な主観で選んでいます)



【福本 豊 1947年11月7日生 身長169cm 左投左打 外野手】(阪急ブレーブス 1969-1988)



一人目はこの人。野球解説者としても有名な福本豊さんです。
大阪府出身で中学校時代は準硬式野球部に所属していました。大鉄高等学校に進学し、3年生には第47回全国高等学校野球選手権大会に出場しました。
その後は、社会人野球の松下電器(現・パナソニック)に進み、阪急ブレーブスから指名を受けました。

福本さんはとにかく足が速く、当時他球団も注目していましたが、身長が低いということで獲得を見送られたそうです。やはり、身長が低いことはネックとなっていたんですね。
また、当時福本さんの父は近畿日本鉄道の社員食堂で働いていたそうですが、福本さんの阪急入団が決まると「ライバル関係になる近鉄さんに、申し訳が立たん」と退職し、阪急宝塚本線庄内駅近くにラーメン店を開いたそうです。この時代ならではの逸話ですね。

阪急入団後は1年目から一軍に出場し、プロ初盗塁も記録。1970年からは一番打者に定着し、盗塁王も獲得しました。また、1972年には日本プロ野球史上唯一の3桁、達成当時はMLBの記録(モーリー・ウィルスの104盗塁)も破るシーズン106盗塁を記録し、史上初となるMVPと盗塁王のダブル受賞を果たしました。

106盗塁、すごい数字ですよね。今では考えられない数字ですね。今後も破られることはなさそうです!
また、1983年にはMLB記録を上回る通算939盗塁を記録。当時首相の中曽根康弘から国民栄誉賞を打診されましたが、固辞しました。この際、「立ちションもできんようになる」と言ったと報じられたことは有名ですね。

その後も、キャリアを積み重ね、17年連続規定打席到達、シーズン全試合出場8度の2つのパ・リーグタイ記録を持っています。また、2000本安打と2000試合出場も記録している。現役通算20年の中で、通算三塁打115本、通算1065盗塁は今後も破られることはなさそうです!

他にも、福本さんの盗塁対策としてクイックモーションが積極的に用いられるようになったのは有名。また、現役引退後は解説者として、阪神対大洋戦で0が並んだまま延長に入ったスコアボードに、実況担当が「福本さんどうですか? 点入らないですね」と話しかけると「たこ焼きみたいやな」と返答し、15回裏に阪神が1点を取ってサヨナラ勝ちを収めると「たこ焼きにつまようじがついたな」と述べたことも有名ですね。

実績だけでなく、様々な名(迷)言も残されている福本さん!
今回のテーマの一人目に紹介しました。




【吉田義男 1933年7月26日生 身長165cm 右投右打 内野手】(大阪タイガース・阪神タイガース 1953-1969)

wikiより転載

二人目は“牛若丸”と称され、華麗かつ堅実な守備で知られ、引退後は3度にわたって阪神タイガースの監督を務め、阪神を初めて日本一に導いた吉田義男さんです。

阪神ファンの方はご存じのレジェンドですね!

吉田さんは京都出身で、山城高校2年生(1950年)時に夏の甲子園に出場しています。卒業後は立命館大学に進学し、1年生からレギュラーをして活躍するが、1953年に中退し阪神タイガースに入団しました。

大学中退で入団もこの当時ならではの逸話ですね!

プロ入り後は1年目の1953年から16年間、遊撃手として不動のレギュラーとして活躍し、1962年、1964年のリーグ優勝に大きく貢献しました。
また、17年間の現役生活で15度のリーグ最多守備機会を記録し、1試合15守備機会、シーズン94併殺など数々のリーグ記録、日本記録を更新しました。

なお、現役時代の背番号「23」は、1987年に阪神の永久欠番となりました。

長年の活躍、素晴らしいですね!永久欠番はそれが認められた証拠ですね!

引退後は、1975-1977年、1985-1987年、1997-1998年の3期にわたり阪神の監督を務めました。1985年には阪神を21年ぶりのリーグ優勝と球団史上初の日本一に導きました。

監督としても素晴らしい実績で、まさしく名将ですね。

2人目は阪神のレジェンド吉田義男さんでした。




【石川雅規 #19 1980年1月22日生 身長167cm 左投左打 投手】(ヤクルトスワローズ、東京ヤクルトスワローズ 2002-)

wikiより転載

最後は現役選手から紹介します!
東京ヤクルトスワローズの小さな大投手、石川雅規選手です(今回の記事はこの選手を紹介したくて作った部分もあります)。

石川選手は秋田県出身で、秋田商業高等学校、青山学院大学を経て2001年ドラフトの自由獲得枠でスワローズに入団しました。

秋田商業高等学校時代はエースとして、第79回全国高等学校野球選手権大会に出場。東都大学リーグでは2年からエースとして活躍し、大学3年生で2000年のシドニーオリンピックにも出場しました。なお、大学の通算記録は51試合23勝8敗、防御率1.63、284奪三振。最高殊勲選手1回(2年生春)、最優秀投手3回(2年生春・秋、4年生春)、ベストナイン3回(2年生春・秋、4年生春)を受賞しています。

プロ入り前から素晴らしい実績を積み上げてきた石川選手ですが、オリンピックにも出場しているんですね!また、オリンピック予選では、後にチームメイトとなる古田敦也さんともバッテリーを組んでいます。

プロ入り後は、1年目から1軍で活躍。新人ながらローテーションを守り続け、12勝を記録し、新人王を受賞しました(なお、新人王は秋田県出身のプロ野球選手としては初)。
翌年以降も、先発ローテーションを守り続け、2006年には、球団史上初、セ・リーグでは堀内恒夫・江夏豊に次ぐ3人目の、入団から5年連続の2桁勝利を達成しています。

その後も、不調の年度がありながらも、2019年までは毎年先発として20登板以上し、11度の10勝以上を記録。チームの投手の柱としての活躍を続けてきました。

無事是名馬ということわざがありますが、1年間安定して働いてくれる選手ほどありがたく、それを体現したような選手ですね!

投手としての特徴としては、球速こそ最速140遅いものの、多彩な変化球で打たせて取る投球が持ち味で、変化球のキレとコマンド力が卓越しています。ストライクを取る能力に非常に長けていて四球が少なく、通算与四球率1.78を記録しています。これは1000投球回以上の現役選手の中では2位の記録(2023年時点)。

パワーピッチャーではなく、技巧派投手であり、玄人好みの選手かもしれません。

現在(2024年1月)の通算成績としては、185勝185敗、3100投球回という実績であり、野球殿堂入りの条件である200勝達成が期待されます!

1年でも長く、活躍してほしいですね!


今回は、3人の偉大なる小さな選手を紹介しましたがいかがでしたか?
プロスポーツは小さな身体でも通用するということを証明してくれた選手たちです!
他にも、数人候補がいましたが、個人的にはこの3人を推しています。

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それでは!

*他の候補
山口高志
若松 勉 など

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