1999年7月31日 「GLAYが『MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO’99 SURVIVAL』を開催」
1999年7月31日 「GLAYが『MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO’99 SURVIVAL』を開催」
1999年7月31日 「GLAYが『MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO’99 SURVIVAL』を開催」 のQRコード
1999年7月31日、日本のロックバンドGLAYは、幕張メッセで「MAKUHARI MESSE 10TH ANNIVERSARY GLAY EXPO’99 SURVIVAL」と題した特別なイベントを開催しました。このイベントは、幕張メッセのオープン10周年を祝うとともに、GLAYの結成10周年を記念する特別な日として企画されました。
このライブイベントは、音楽史上においても非常に特筆すべきものでした。なぜなら、有料ライブの観客動員数としては世界記録を樹立したからです。20万人以上の観客が集まり、日本国内史上最大のライブイベントとなりました。さらに、単独アーティストによる有料コンサートとしては世界最大級の規模であり、その後「20万人ライブ」として親しまれるようになりました。
GLAYはこのイベントを通じて、パラボラアンテナを模した特設ステージを使い、「音楽の発信基地」というコンセプトで演出しました。この特別なステージは、彼らの音楽をより大きな舞台で届けるための象徴的なものでした。
イベントの入場からライブのスタートまでの時間が6時間にも及んだため、開始前にはステージのスクリーンにステージそばのホテルからラジオ番組形式での生中継トークライブが上映され、ファンたちは待ち時間を楽しむことができました。
ライブでは最初の5曲(「HAPPY SWING」から「More than Love」まで)を会場中央に作られた小さな円形ステージで披露し、その後はメインの前方ステージで演奏が行われました。多くのファンがライブを楽しむためにチケットを手に入れることができず、会場近くの歩道橋からでもライブを観覧する人々が見られました。
ライブ終了後、20万人全員の観客が退場するのにかなりの時間がかかり、日付が変わった深夜0:30までかかったとされています。
このイベントは、GLAYのリーダーであるTAKUROにとっては、長年の夢であったウッドストックのような大規模なイベントが実現したことで歓喜に満ちていました。ただ、同時にこの成功の後、GLAYの将来の方向性についての虚脱感や迷いも抱えるようになりました。後にTAKUROはこのイベントがGLAYを次のステップに進めるきっかけになったと語っており、GLAYの活動を継続する重要な要素となりました。
「GLAY EXPO’99 SURVIVAL」は、音楽界において記念すべき瞬間となり、多くのファンにとって永遠の思い出となったイベントです。GLAYの成功と影響力を象徴する一大イベントとして、音楽史に刻まれる重要な日として記憶されています。
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