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1945年4月23日 「玉栄丸爆発事故」

1945年4月23日 「玉栄丸爆発事故」


1945年4月23日、鳥取県西伯郡境町(現・境港市)大正町の岸壁で徴用船・玉栄丸(尼崎汽船所属、1917年建造、937トン)による爆発事故が発生しました。この事件は第二次世界大戦末期に起こったものであり、別名を「玉栄丸事件」とも呼ばれています。


当時、玉栄丸は鉄鉱石や石炭などの物資を運ぶために使用されていました。そして、この日の午前7時40分ごろ、玉栄丸は岸壁で爆薬の積み下ろし作業中でした。ところが、突然爆発が起こり、火薬倉庫にも引火し、複数回の大爆発を引き起こしました。


この爆発によって、境町の市街地の3分の1が焼失するという大惨事が発生しました。この事故による被害は、死者115人、負傷者309人、家屋被害は全壊355戸、全焼76戸、倒壊焼失家屋431戸、被災人口1,790人にも上り、戦時下の山陰地方で最大の火災となりました。


玉栄丸の乗組員のほぼ全員が死亡し、さらに、軍による情報統制が行われたため、長い間原因不明とされてきました。当時の情勢もあり、一説には謀略があったのではないかという見方も存在しました。


しかし、近年になって、上等兵による煙草の火の不始末が原因であるという証言(調査結果)が出てきました。この証言によれば、上等兵が火を使っていたところ、たまたま爆薬の近くで煙草を吸おうとしていたところ、燃え広がり爆発に至ったとされています。


玉栄丸爆発事故は、戦時下の混乱の中で発生した惨事であり、多くの命が失われた悲しい事件です。しかし、その原因が明らかになったことで、今後同様の事故を防止するための教訓として、その歴史的な意義がより一層高まりました。


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