#1【葛飾北斎】富嶽三十六景「江戸日本橋」
#1【葛飾北斎】富嶽三十六景「江戸日本橋」
とうとう TOP VIEW で記事を書きます。図書館から本を順次30冊ほど借りて「どんな題材がいいだろうか」と悩んだ一週間。気の向くまま本のタイトルを見ると木版画、浮世絵、葛飾北斎、などのキーワードが並んでいます。
いま「日本文化を掘り下げたい」という想いに気付きました。
憧れの画狂老人・葛飾北斎。70代にして富嶽三十六景を描いたこと。私はつい先日40歳になったので人生の後半戦をどう生きようかと模索していました。40代どころか70代で大仕事をした大先輩の画業をじっくり一枚ずつ観賞したくなったのです。
読者の皆様にも、今まで以上に葛飾北斎の絵の魅力を感じていただけたらと思います!絵画インストラクターとして初記事です。どうぞよろしくお願いいたします!
葛飾北斎ってどんな画家?
今回は富嶽三十六景の1枚目の解説です!
とても活気のある場面ですね!それもそのはず、日本橋は江戸の中心だったのです。東海道の起点である日本橋はとても栄えていたといわれています。
多くの浮世絵師が富士山・江戸城・日本橋の3点セットで日本橋を描いていました。画狂の北斎は何とその日本橋を大胆にトリミング(不要な部分を切り取る)しています。
日本橋の絵なのに日本橋カットという大胆さ!それにより人々の喧噪が聞こえるような賑やかさが表現されています。
アメリカのニューヨークにあるメトロポリタン美術館のサイトでは、北斎のこの江戸日本橋のトリミングに言及しており、海外の方から見ても大胆さが際立つ絵となっています。
富士山
悠々と富士山がそびえています。
日本橋の喧噪が「動」なら富士山は「静」ですね。
江戸城
江戸城は千代田城とも呼ばれていたそうです。
一石橋(いちこくばし、いっこくばし)
絵の奥に見えるのは一石橋。
「八橋」とも呼ばれ、この地域で重要な橋でした。
押送船(おしおくりぶね、おしょくりぶね)
江戸時代の高速船。全長約11.7m。
鮮魚類を運び、細長い船体が特徴。
大八車(だいはちぐるま)
江戸時代から使われていた人力荷車。
こちらもトリミングされています。
大八車は昭和初期まで使用されていました。
空
「拭き下げぼかし」という摺師の技。
首都高速道路株式会社によると、日本橋川に青空を取り戻すために高速道路の地下化事業を進めており、完了は2040年の予定とのことです。
せっかくの歴史的建造物が道路の下にあるのは残念だったので、この計画は素敵だと思いました。ぜひ完成させてほしいです!
三分割された線上を意識するといい構図になるという北斎の考えです。江戸日本橋では水平線がおおよそ3分の1のところにありますね!
写真の構図の基本に「三分割法」というものがあります。縦と横を3分割、9マスに分けて考えます。分割した線の交点に被写体を置いたり、三分割の線を意識してバランスをとると魅力的な構図になるというものです。
線の交点に被写体を置く。
三分割の線上に水平線を置く。
私のスマホは写真を撮るとき、このガイドラインが表示できるのですが皆様のスマホはいかがでしょうか。現代にも通じている北斎の構図の考え方が興味深いと思いました。
また、北斎は西洋の「遠近法」を学んでいます。遠近法の「一点透視図法」では平行な線が一点に収束します。この「江戸日本橋」にも大胆に取り入れており、大げさなほど奥行のある絵となっていますよね。
一点透視図法
平行な線が一点に収束。その点を消失点といいます。
一点透視図法は消失点が一つです。
ただ北斎はただ遠近法を取り入れるだけでなく、遠近法をわざと崩しています。
どう補助線を引いても「江戸日本橋」の平行な線は一点に交わりません。遠近法をわざと崩すというのは、のちのフランスの画家・ポール・セザンヌ(1839-1906)も表現に挑戦する際にやっていたことです。先取りするにも早すぎると思いませんか。
西洋の表現を取り入れた瞬間に崩すなど、常人にはありえない突き抜けた感覚の持ち主だということが分かります。
私もアニメーター時代、先輩から「遠近法できっちり描かず、絵になる構図にする」ということを教えてもらいました。が、当時は理解できなかったのです。絵を続けて描いていくうちに、今やっと「何となくこういう感覚かな?」と思い始めたところです。
片鱗も掴んでいない状態で解説するのは難しく心苦しいのですが、北斎は遠近法を取り入れつつも自分の自由な感覚と融合させていました。
西洋から学んだことを取り入れ、崩す。それをやってのけた北斎は本当にすごい巨匠だと思います。深い深い北斎の世界。北斎の絵は時代も国境もこえ、人々を虜にしています!
以上「富嶽三十六景 江戸日本橋」の解説でした。お楽しみいただけたでしょうか。読んでいただき幸いです。次回は「富嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図(こうとするがちょうみついみせりゃくず)」の解説です。お楽しみに!
いま「日本文化を掘り下げたい」という想いに気付きました。
憧れの画狂老人・葛飾北斎。70代にして富嶽三十六景を描いたこと。私はつい先日40歳になったので人生の後半戦をどう生きようかと模索していました。40代どころか70代で大仕事をした大先輩の画業をじっくり一枚ずつ観賞したくなったのです。
読者の皆様にも、今まで以上に葛飾北斎の絵の魅力を感じていただけたらと思います!絵画インストラクターとして初記事です。どうぞよろしくお願いいたします!
葛飾北斎ってどんな画家?
- 江戸本所割下水にうまれる(1760-1849)
- 浮世絵(木版画)の風景画というジャンルを築く
- 画狂人と呼ぶほど絵に人生を捧げる
- 引っ越し93回!
- 金銭管理が下手で画料はほぼ借金返済に
- 全46枚!
- 当初は36枚の予定が人気が出たため10枚追加された
- 富士山を色々な場所から描く
- 鮮やかな青「ベロ藍」プルシアンブルーの使用
- 西欧諸国でジャポニスム(日本趣味)の要因となる
今回は富嶽三十六景の1枚目の解説です!
富嶽三十六景「江戸日本橋」えどにほんばし
とても活気のある場面ですね!それもそのはず、日本橋は江戸の中心だったのです。東海道の起点である日本橋はとても栄えていたといわれています。
多くの浮世絵師が富士山・江戸城・日本橋の3点セットで日本橋を描いていました。画狂の北斎は何とその日本橋を大胆にトリミング(不要な部分を切り取る)しています。
日本橋の絵なのに日本橋カットという大胆さ!それにより人々の喧噪が聞こえるような賑やかさが表現されています。
アメリカのニューヨークにあるメトロポリタン美術館のサイトでは、北斎のこの江戸日本橋のトリミングに言及しており、海外の方から見ても大胆さが際立つ絵となっています。
富士山
悠々と富士山がそびえています。
日本橋の喧噪が「動」なら富士山は「静」ですね。
江戸城
江戸城は千代田城とも呼ばれていたそうです。
一石橋(いちこくばし、いっこくばし)
絵の奥に見えるのは一石橋。
「八橋」とも呼ばれ、この地域で重要な橋でした。
押送船(おしおくりぶね、おしょくりぶね)
江戸時代の高速船。全長約11.7m。
鮮魚類を運び、細長い船体が特徴。
大八車(だいはちぐるま)
江戸時代から使われていた人力荷車。
こちらもトリミングされています。
大八車は昭和初期まで使用されていました。
空
「拭き下げぼかし」という摺師の技。
日本橋の歴史と現在
1603年にはじめて日本橋が架けられたあと、現在は20代目の日本橋となっています。1964年の東京オリンピックの前に首都高速道路が建設されたため、橋の上には高速道路が通っています。首都高速道路株式会社によると、日本橋川に青空を取り戻すために高速道路の地下化事業を進めており、完了は2040年の予定とのことです。
せっかくの歴史的建造物が道路の下にあるのは残念だったので、この計画は素敵だと思いました。ぜひ完成させてほしいです!
北斎の「三ツ割法」と西洋の「遠近法」
「江戸日本橋」は北斎独自の「三ツ割法」で描かれています。これは画面を三分割し、上の3分の2を天、下の3分の1を地として描く方法です。三分割された線上を意識するといい構図になるという北斎の考えです。江戸日本橋では水平線がおおよそ3分の1のところにありますね!
写真の構図の基本に「三分割法」というものがあります。縦と横を3分割、9マスに分けて考えます。分割した線の交点に被写体を置いたり、三分割の線を意識してバランスをとると魅力的な構図になるというものです。
線の交点に被写体を置く。
三分割の線上に水平線を置く。
私のスマホは写真を撮るとき、このガイドラインが表示できるのですが皆様のスマホはいかがでしょうか。現代にも通じている北斎の構図の考え方が興味深いと思いました。
また、北斎は西洋の「遠近法」を学んでいます。遠近法の「一点透視図法」では平行な線が一点に収束します。この「江戸日本橋」にも大胆に取り入れており、大げさなほど奥行のある絵となっていますよね。
一点透視図法
平行な線が一点に収束。その点を消失点といいます。
一点透視図法は消失点が一つです。
ただ北斎はただ遠近法を取り入れるだけでなく、遠近法をわざと崩しています。
どう補助線を引いても「江戸日本橋」の平行な線は一点に交わりません。遠近法をわざと崩すというのは、のちのフランスの画家・ポール・セザンヌ(1839-1906)も表現に挑戦する際にやっていたことです。先取りするにも早すぎると思いませんか。
西洋の表現を取り入れた瞬間に崩すなど、常人にはありえない突き抜けた感覚の持ち主だということが分かります。
私もアニメーター時代、先輩から「遠近法できっちり描かず、絵になる構図にする」ということを教えてもらいました。が、当時は理解できなかったのです。絵を続けて描いていくうちに、今やっと「何となくこういう感覚かな?」と思い始めたところです。
片鱗も掴んでいない状態で解説するのは難しく心苦しいのですが、北斎は遠近法を取り入れつつも自分の自由な感覚と融合させていました。
西洋から学んだことを取り入れ、崩す。それをやってのけた北斎は本当にすごい巨匠だと思います。深い深い北斎の世界。北斎の絵は時代も国境もこえ、人々を虜にしています!
以上「富嶽三十六景 江戸日本橋」の解説でした。お楽しみいただけたでしょうか。読んでいただき幸いです。次回は「富嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図(こうとするがちょうみついみせりゃくず)」の解説です。お楽しみに!
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葛飾北斎の天才っぷりが分かりやすく書かれていて、興味深く読ませていただきました!三ツ割方は初めて聞きました。簡単に真似できそうですが、葛飾北斎のセンスが良いからあれだけ素敵になるのかしら?イラストもたくさんあって、とても楽しく読めました。素敵な記事をありがとうございます!
71ライターチョコお茶様
58楽しんでもらえて良かったです~!葛飾北斎は本当に天才というか鬼才というか。三ツ割法は後世のために図で教えてくれてもいるのですが、シンプルな法則に思えて使いこなすのは難しいと私も思います。写真を撮るときにちょっと思い出してもらえたら嬉しいです。(^^♪イラストは説明するうちに増えてしまって。歴史好きの人も取り込もうと目論んでおります。こちらこそ読んでいただきありがとうございました!!
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